こじまのかべ打ち

こじまが話したいことを書き書きしてます。

嵐を呼ぶこじま

こんにちは。こじまです。

 

なんだか「あれー、気がつけば前にも同じような状況に」と感じることがありせんか。

 

わたしの場合、所属組織が何かしらの危機を迎えることが多いです。

どうやらこじまは嵐を呼び込むようです。そんな星の下に生まれてしまったようです。笑

 

中高の部活動ではごっそりと上の代がいなくなってしまい4年間部長をすることになりました。(こじまは中高一貫校)

アルバイト先でも代替わりのタイミングで人手不足になったり。

今もまた大学でもそんなかんじです。

 

少しづつ積もっていった不良債権がわたしが担ぐタイミングで処理しきれないレベルに近づいて破産間近状態にというかんじです。

正直、「どうしてわたしばかり」と思うこともあります。

けれども「わたしなら嵐を乗り切れるから」という謎の運命でまわってくるのかなと思うことにしました。

 

先輩も同期もいないなかでわたしと後輩あわせて5人くらいしかいない部活はとてつもなくしんどかったです。けれども同じ練習場所を使っていた他校の先輩や先生に良くしてもらったり、他校の同期ととても仲良くなりました。

いまでもその同期はなかよしです。今はみんな離れたところに住んでいてなかなか会えないですが、ふと「会いたいな」と思える友達がいることはすごく貴重なことだなと。

 

そして後輩たちが大学にはいっても競技を続けたことがわたしは何よりもうれしかったです。それはわたしが直接関係していることではないかもしれないけれど、後輩たちがあのときの部活動が「いやな思い出」だけでなかったことが、とてもとてもうれしかったです。

 

アルバイトでも常連さんやマスターに「顔をみると元気がでる」と言ってもらえてとてもうれしいです。

 

嵐ばかり呼び寄せてしまうけれども、頑張ろうと思います。

そのさきには何かいいことがあるという経験をしてみると、ついしんどくても頑張ってみようかなと思ってしまいます。笑

 

今ふと思ったのですが、わたしあちこちで「頑張る」って言ってますね。

カウントしたらすごそうです。

 

なんだか『努力』って麻薬に近い薬みたいです。笑

いつぞやに流行ったコラ画像が作れちゃいそうです。(使う→効果が切れる→もっと欲しい!のあの図です)

だからついつい他人にも軽く勧めがちです。

そして人によって致死量も違うのに「もっと!努力しよ!」と言ってしまいます。気をつけないと。

 

『努力』は用法・用量を守りましょう!笑

 

それでは!

何をさがして三千里

こんにちは。こじまです。

 

どったんばったんとしていたら、あっという間に時間が過ぎている毎日です。おちおち自分の人生について考えてもいられません。本当にあまりにも急展開なことばかりで鼻血がでるほどです。(疲れるとなんでだか鼻先ちょっと触るだけで、だばだば出血するんですよね…)

 

毎日が一輪車に乗りながらジャグリングして綱渡りして状態なのですが、1つのことで鬱々しなくて済むのである意味いいかなと肯定的にいこうと思います。

 

自分でも忙しくするのが大好きだなとつくづく思います。はたまた"忙しい"を引き寄せているのか…笑

 

そしてふと気がついたのです。

遠くをみればしんどいことでも意外とやっていけるものがほとんどだと。

 

スポーツでも「遠くをみること」はかなり大事なポイントだったと気づき、世の中ってよくできているなーと1人で感動しました。(例えばスキーやスノーボードでも目の前だけ見ているとものすごいブサイクなフォームになります。かっこよくない上にうまくターンできません)

 

今、自分の目の前をみると"いやなこと"や"辛いこと"がごろごろと転がっています。しかもその道には"いばら"がチラチラと見えていて、通れば血まみれになることも明白です。

 

「それを抜けた先には何かきっと"いいこと"が待っている」と思えればその道を進めます。しかし、その"いいこと"はどのタイミングで"いいこと"だと気がつくのかはわかりません。大抵はだいぶ後になってから「あー、あのとき踏ん張ってよかったなー」と気がつくものです。

 

実際には痛いものは痛くて、辛いものは辛いので挫折することも多々あります。けれどもそれも進んでみないことにはわからないです。

 

「痛いかもしれない」、「辛いかもしれない」という憶測を立てて諦めては何も成し得ることはできない。経験せずに語ることはできない。

 

わたしの持論です。笑

 

何かを成し得たいのなら自分の足で進み、ときには足掻くことが必要だと思います。それができないことは結局は"その程度"で終わるのでしょうね。

 

「無理だ!合わない!」というのもやってみないとわからないです。笑

そう思ってやめることは間違いではないと思います。得手不得手の問題です。(ただそれが自分以外の人や集団が関わっている場合はタイミングやらなんやらを見計らわないと大変なことになります)

 

それに遠くにある"いいこと"は何かわからなければ作ってしまえばいいのです。それは自分の理想とか身につく力や経験みたいな抽象的なものもアリですが、モノだと具体的でわかりやすくていいなと思います。

 

わたしはいつも山場を越えると頭の中の『ごほうび&テンション上げリスト』から欲しいものを選んで買っています。それにテンションが下がった時にも活用できるので便利です。このリストから最近わたしはBluetoothスピーカー、HDMI変換プラグ、DVDドライブ、CD8枚、Blu-ray2枚、本3冊、写真集を買いました。

 

誰がどうみても買いすぎです。相当疲れてたんですね。

おかげでこじま財政は赤字です!火の車です!

それに整理しろとまた言われてしまいます!うわーん!笑

 

こじま財政はさておき目の前の辛さを安易に回避するよりは遠くの何かに向かうことがいずれどこかで報われると信じてわたしは今日も頑張ろうと思います。遠くをみるためには自分の足元もしっかり見なくてはいけませんね。

 

最後にわたしが迷ったときに聞く曲とその歌詞の一部を置いておわります。アイドルの曲ですがいいこと言ってるなと。ここに書いた歌詞はわたしが趣味でちょこちょこ訳したものなのでニュアンスが違うかもです。(上の動画はハングルしか書いてないし、踊ってます。全部日本語で訳してくれてる人のなかで好みの訳の人の動画もついでに)

 

[FULL HD] LOST - BTS COUNTDOWN - YouTube

 

日本語字幕 【 Lost 】 BTS 防弾少年団 - YouTube

 

信じられないかもしれないけれど、それでも信じているんだ。道を見失うことはその道を見つけ出す方法だって。

どこかへ向かうアリを見たことがあるかい。

一度で道を見つけられる方法なんてない。数え切れないほどぶつかって、這いつくばって食べ物を探して何日も彷徨う。

きっとわかるよ。役に立つはずさ、この挫折も。

僕はそう信じている。僕らはちゃんと進んでいる。

約束のない希望よ、さよならだ。

少し時間がかかろうとも自分の足で歩くよ。

この道がきっと僕の道だから。遠回りだとしてもいつかは届くはずだから。

 

 

それでは!

 

 

オールド・シネマ・パラダイス

こんにちは。こじまです。

 

こじまは映像鑑賞が趣味の一つです。映画にドラマ、アニメにミュージックビデオ。演劇やコンサートなど生の魅力も好きですが、それとはまた違った映像作品は何度も観る魅力や視点が固定される魅力が好きです。

 

映像を見ながら『このシーンはどういう意味だろう』と考えることが楽しい趣味です。『なぜ今、そのセリフなのか』、『なぜ今、そのアングルなのか』、『なぜその描写なのか』、『主題はなんなのか』など考えては喧々諤々と考察を話すのが醍醐味です。

 

ちなみにこじま家ではわたしが圧倒的テレビ占有率を誇っています。こじま家にテレビは一つしかなく、そのうえわたしは作業するとき以外はリビングでほぼ生活するという特性持ち故にです。けれども意外と感性が近いおかげでチャンネル争いはあまり起きないので平和です。最近ではテレビでYouTubeもみれて、またWOWOWという新しいおもちゃを手に入れたので毎日が映像三昧です。古い映画から新作映画にオリジナルドラマ、はたまたコンサートまで観れて最高です。(みんなテレビが好きですし、ノリノリで「ほら!これ見て!おもしろそうでしょ!」みたいな感じでいつも見せています。付き合ってくれる家族ありがとう)

 

昔から観る作品がすこし世代とズレていることが多いわたしが言うのもあれですがロードショー以外の作品もすごくおもしろいので試しにテレビでみたり、借りたりして観てもらいたいなぁと思います。古い映画やドラマは最近の作品でオマージュに使われていることもあったりで、知識があれば作品がグッとおもしろくなることが多いです。(あとはフィルムの独特感だったり、CGのはしりみたいなのの雰囲気がおすすめです。そしてできれば映画館で観たいです。二番館、三番館があった親の時代うらやましい)

 

そこで「これ!おもしろい!観てみて!」を叫びたい数ある作品のなかから、今回はわたしが生まれる以前の「古い映画」を少し紹介していきたいと思います。(参考動画はいいのがあんまり見つからなかったので、興味があればぜひ映画本編を観てください) 

 

大脱走


「大脱走マーチ The Great Escape March」

誰もがこの映画のテーマソングを絶対どこかで聞いたことあるはずです。第二次世界大戦中のドイツ軍捕虜収容所から脱走を試みる物語です。明るい雰囲気のわりにかなりハラハラする作品です。脱走するメンバーを応援したくなりますが、本当に最後のシーンでわたしはドイツ軍のラムゼイ大佐を応援したくなりました。ラムゼイ大佐は貴族的な考え方だったんです。悪い人のようで悪い部分だけでなかったのがわかって「た、大佐ーっ!」となりました。ちなみに脱走組の何人かは『荒野の七人』(七人の侍の洋画リメイク)にもでてます。まぁ、有名な話ですよね。

 

『夕陽のガンマン』


For a Few Dollars More(夕陽のガンマン)-Ennio Morricone

今は映画監督としても名高いクリント・イーストウッドの代表作の一つです。ザ・西部劇です。そう、マカロニ・ウエスタン。(マカロニ・ウエスタンて死語ですかね)これを観ると『バック・トゥ・ザ・フューチャー3』がもっとおもしろくなります。なんなら『荒野の用心棒』を観ていてもおもしろいと思います。もはや『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でのオマージュの印象が強すぎて作品自体の記憶が薄れている感も否めません。けど、おもしろかったと思ったことは覚えてます。笑(というかたくさんの作品を観たり、ロックバンドがわかるとバック・トゥ・ザ・フューチャー』って味が変わってくる作品で飽きないので、ぜひそっちも観てください…深海のお魚パーティー…カルバンクライン…)

 

『生きる』


生きる(プレビュー)

いわずとしれた黒澤明作品のひとつです。『七人の侍』や『隠し砦の三悪人』みたいな派手さはないです。三船敏郎もでてないです。快活な作品ではないですが、志村喬の演技と映画の白黒が合っていてすごく好きな作品です。これは文字で説明するのが難しいのですが、最後のブランコをこいでいるシーンと子供達が公園で遊んでいるシーンは印象的です。こじま、すぐ映画とか観て泣くのであてにならないんですが泣きました。この作品のなかで描かれる「お役所仕事の難点」は今でもあんまり変わってないのかなと思ったりも。50年かかっても劇的には物事変わらないけど、少しずつは良い方向に変化していればいいなと思います。

 

たった3作品でもこんな文字量になるとは… 

本当はヒッチコック作品とかジェームズ・スチュアートとかオードリー・ヘプバーンとかジェームズ・ディーンとかについても語りたいんですがまた今度にします。

 

あぁ、ほかにもアニメとかいろんな映像作品についても語りたい!

(このまえバイト先の人にかくかくしかじか映像について話したら「映像フェチ」の称号を得ました)

 

それでは!

 

 

 

 

認め認められて生きるのさ

こんにちは。こじまです。

 

先日、3時間かけて書いたブログ記事がサーバーダウンで爆散しました。笑

自分なりに書き上げて達成感があったのですが、扱ったテーマが結構センシティブなもので、爆散したということはきっと公開するなということだと思うのでそっとしておきます。

 

ただ、そのおはなしの中で取り上げた「認めること」「理解すること」については話してもいいかなと思い、こうして書きおこしてます。

 

世の中ではこの「認めること」「理解すること」をごっちゃにしてしまうから複雑になってしまう事柄がたくさんあるのではないでしょうか。

 

世の中に存在しているものは誰かにとって正解・部分点・不正解のいずれかにあてはまると考えます。そこでは自分にとっての不正解は誰かには正解だということが往々にしてあります。その逆もまた然り。

 

自分が不正解だと思うことに対して、正解だという人に『はぁ?なんで正解なんだよ!おかしいだろ!』と襟首掴んで「詰め寄らないこと」「認めること」

 

自分が不正解だと考えるけれども、正解だと思う人はなぜ正解だと考えるのかについてほかの人に「説明できること」「理解すること」

 

どうでしょうか。こじまの考え、伝わったでしょうか。笑

 

こう捉えてみると「認めること」と「理解すること」の間には大きなハードルがあるかんじがします。こんなにも性質の違う2つのことをまぜこぜにして議論をしてしまうとずっと平行線だなーと。笑

よくよく自分のまわりをみてみるとよくあることだと感じます。もちろん、わたしにもあることです。なんたって、この2つは字面はよーく似てますもんね。

 

たとえば嫌いな人がいて、同じ空間にいて。

その人を追い出すことは簡単だけれども、そこから追い出さないのはその人を認めているから。ここはわたしだけの世界じゃないから。そして、その人がわたしにはできないことができることを認めているから。

ただその人の思考回路はわたしには理解できないから、わたしのポリシーとは違うから嫌い。その人が大事にしているものと、わたしが大事にしているものが違うので理解できないことは仕方がないことでもあると思います。

 

「理解できないこと」は悪いことでも間違っていることでもないとわたしは思います。けれども人ってどうしても感情が先走ってしまう生き物なので、「嫌い!理解不能!」があると評価がマイナスから始まったり、許容範囲が狭まったりしてしまうという事実があるのが難点ですね。おそらくこれが「認めること」を脅かしてしまうんですよね。

 

いろんなところで「理解すること」ができないことでも「認めること」ができるようになると世界はもっと違うかもしれませんね。

 

けれども「認めること」が簡単なようで難しいから、こういろいろ複雑なんですよね。きっと。

 

さて、最近はどんどんおはなしが長くなってしまうので今回はここらで短く終わりましょう。笑

 

それでは!

 

願わくばこの記事を読んだ方にとって、何かしらの気づきがあらんことを。

 

 

 

残酷なアンチのテーゼ

こんにちは。こじまです。

 

先日、自分がやってきたことについて文字で批判されました。それとも否定かな。

 

こうやってブログを書いている身分として矛盾してしまうかもしれないんですが、文字だけでやりとりをすると絶対どこかでねじ曲がってしまう瞬間があるので嫌いです。

 

文字だと証拠が残ってダメージ大きいですし、わたしの感情で読んでしまうので嫌いなんです。本人の言いたかったことと違う側面を際立てて読んでしまうこともあります。そのときの自分のテンションにものすごく左右されます。わたし、すぐ頭に血がのぼりますし。

 

それに読んだ人が都合のいいように切り貼りして、さらにねじ曲げることも簡単です。さながら3分クッキングにでてくる丸1日漬け込んだお肉のようです。

 

正直、文字だけで喧嘩するなら殴り合ったほうが解決の糸口としてはマシなんじゃないかと。笑

 

さて、本題に戻ります。

 

わたしのやってることは

「勝手」なんだって。「適当」なんだって。

そして私の「適当さ」が理解できないのなら、引っ掻き回すな。

と文字で言われました。

 

わたしも完璧な人間ではないので当然、落ち度はあります。もちろんそこは反省すべきです。けれども、ここで一番ショックだったのは自分なりに懸命に頑張ってきたことがその人には「勝手」で「適当」に見えていたことですね。

 

あー、ヘラヘラしてるように見えたんかなぁ。

確かにあのとき感情論混ぜてしまったなぁ。それはやってしまったなぁ。

自分がされて嫌なことは他の人にはしないように心がけてたけど、まだ自分の想像力が足りんかったかなぁ。

 

わたしが何を話すのか頭でまとめて時間をかけて資料なんかを準備していたことも、外部と打ち合わせのために自分の時間を割いたことも、アルバイト先に無理言って時間を調整して空きを作ったことも、好きなアーティストのコンサートがあったけど企画と被ってたから諦めたことも、忙しいことも知ってて頑張ってる友達に催促だったり修正点なんて本当は言いたくないけどしたことも、話し合いのときの雰囲気に気を配ったりしたことも全部、全部、全部知らないのは当然です。そんなもん見えないですもん。

 

見えないことだけども間違いなくわたしの努力だったんです。それを否定された気分がしてめちゃくちゃ落ち込んでます。しかも、しんどいなーと自分がいろいろ思っているタイミングだったので激へこみです。自分のことを"いい"と思ってくれる人だってきっといるとわかっています。けれども、どうしても1人の"アンチ"な発言で自信やら努力する意欲なんかがガラガラと音を立てて崩れ堕ちます。ああっ…涙がっ…

 

努力って目にみえるものでもないですし、「わたしこれだけ努力してる!」と露骨にアピールすることはあまり歓迎されない世の中です。そもそも努力はアピールするものなのか。笑

 

そんななかで、どうすればうまく努力アピールってできるんですかね。このアピールを失敗することが多くて難しいです。コミュニケーションとは難解なものです。

 

自分がこんなにも努力してると思っていると、「なんで!わかってくれないんだ!お前はポンコツか!」と本人に文句を言いたいことはよくあります。けれどもその文句を言う相手だって努力していることがあることは少しは理解してから直接、文句を言ってほしい。

 

そして、とことん喧嘩しようじゃないか!笑 

喧嘩のない組織は不気味ですしね。

まぁ、裏でぐちゃぐちゃ言って足を引っ張られるよりはテキストメッセージでも言ってくれるだけマシかもしれませんね。

(あ、でも仕事の喧嘩を私生活にまでは引っ張ってほしくないですね)

 

別に文句を言うなとは言わない。わたしも文句は言うから。ただ文句をいう相手が第3者ではなく本人に伝えることは相手を傷つけて、自分も傷つけられる覚悟があり、その行動の対価を支払うことも忘れないでいたほうがいいと思います。

 (だからこそ、文字にするなら話すときの倍以上に言葉遣いに気をつけたほうがいいかと。嫌いだから"敬意をはらうこと"をしなくていいとはならないぞーっ!)

 

わたしも文句が言われる原因をきちんと考えるから、文字にしてテキストメッセージにしてドッジボールにしないでほしい。

文字だけ見ててもあなたが何を思ったのかも、わたしがそれを読んでどう思ったのかも一切伝わらない。会話のようで、会話にならないんです。

テキストメッセージは便利だけれども、そういうところがやっぱり好きにはなれないです。

 

あー!本当こうして文字にするとストレス発散になりますよね!

そりゃ文句も文字でムカつく相手にぶつけたくなりますわ!

 

ただ、わたしはその文句の言い方は好かん!じゃあ、今こうしてブログに書いてることだって同じじゃないかと言われてもなんて切り返せばいいかわからん!難しい!

 

ただ、言葉は大事にしようね!言葉の力って本当にすごいんだからね!

以上!

 

それでは!

 

 

 

 

大丈夫、幸せだ

こんにちは。こじまです。

 

もう2018年も4月ですね。はやいものです。

(わたしが予約設定をミスっていなければ、おそらくこの記事が投稿されているのは4月のはずです)

 

先日、気分転換に部屋の掃除をしていたら昔つけていた日記を発見しました。なんと引き出しの奥にひっそりと眠ってました。おそらく日記をつけていることがバレたくなくて、よくわからないそんなとこに隠したのでしょう。

 

そして何気なく手にとって読み返してみました。

こういうのって改めて読むと「うわーっ。恥ずかしい」みたいなことが多いですね。

 

内容はラジオで自分の投稿が読まれたこと、部活にどうしても行きたくなくてわざと遠回りしたこと、試合に負けて悔しくて泣いたこと、テストでいい点とったことなどなど…どうやら気が向いたときに書いてたようです。

内容も書く間隔もめちゃくちゃで、いろいろツッコミどころ満載です。けれどもある日のわたしが詰まった日記でした。

 

誰かを傷つけて後悔して巡り巡ってその罰を受けたことも書いてあったり。なかにはありったけの呪詛を書き連ねただけのデスノートじみたページもありました。

(そんなことを日記に書いていたのが青くさくて自分でも恥ずかしくて本当、怖いです笑)

 

腹筋ないのに背筋つきすぎてぎっくり腰になった日も、合宿で毎朝でてくるバナナに苦しんだ日も、息をどうやって吸えばいいかわからなくなった日も、誰にも会いたくなくて本とパソコンしかない部屋から一歩もでなかった日も、今では全部、懐かしいです。

 

読み返した感想としては、あの頃から今なんて遠くのように感じていたけれども、ここまであっという間だったなと。

 

以下、日記書いてた当時のわたしへ言いたいことや思ったことです。

 

 大丈夫、全部"いい思い出"になってるよ。

自分でドアを閉めたけど結局、開けるのも自分だから。なんとかしたかったら、がんばれ。それしか言えないし、それに尽きるよ。ドアノブ触るまでめちゃめちゃ気力いるけど、そっからは意外とスッと開くよ。そのドア、鍵かかってないから。蹴破るほどの労力いらんよ。笑

 

今は止まってるようでも、ちゃんと歩いてたって気づく日が来るよ。いろんな人に会って、"いい経験"をするよ。世界は本当、広いから。世の中、成るように成るさ。

 

いろいろ迷って、悩んで、くよくよして、すぐ妬んで、すぐ頭に血がのぼるとこがある狭量な自分は今も嫌いだよ。笑

けれども、その欠点も直しかけの欠点に変わったとこも多いんじゃないかな。日記を通して「わたし、めちゃイヤな人間だなー」って実感したけど「でも、そこから結構がんばったなー。わたし偉いなー」って初めて自分のこと褒めてあげようと思ったよ。またがんばるよ。ありがとう。

 

そして、日記つけてるときは大嫌いだったグループにハマるよ。今のわたしは手のひらを返したように大好きだよ。CDを片っ端から買って、聴きあさって、動画を繰り返し何度も観てるぞーっ。笑

そして彼らはわたしのロールモデルにまでなってるよ。それぐらい人生ってわかんないんだよ。

 

つらいことやしんどいことは尽きないけど、それなりに幸せだって思うこともたくさんあるよ。嫌なことは長く覚えてるけど、なぜだか幸せなことは思い出そうとしないと出てこないこと多いんだよ。

だから気づいてないだけで、"いいこと"はたくさんあったんだよ!この世で1番不幸だって思うこともあるかもしれないけど、こう思ったほうがいいよ!

 

 「まぁ、よくあるこった!気にすんな!」

 

ははっ 笑笑

 

さてさて隠したことを忘れるくらい日記は"過去"のことになったみたいですし、次のもえるごみの日に、この日記とはさよならをしましょう。

読み返したことで、その最後の役目もおしまいです。

お塩をまいて、燃やしましょう!南無南無!

 

それでは!

 

 

 

 

きょう何食べる?

こんにちは。こじまです。

 

こじまは食べることが大好きです。

なんなら食べるために生きているといっても過言ではありません。

 

そして3食きちんと食べることを徹底しています。

食べないと力でないですし、イライラしてしまいます。

空腹あるとこ平和なしです。

 

私はずっと実家暮らしなので、ありがたいことに毎食食いっぱぐれることなく生活させてもらってます。(ときどき、ちゃんと自分でも作りますよ)

 

旅行をするときの楽しみのひとつも"ごはん"です。

私はどっちかというとガイドブックはあまり読まないタイプなので、行き当たりばったりで店を決めます。わたしのおいしいレーダーが反応している!のノリです笑

 

そして食べることが好きなのは、ごはんを食べながらする話が好きだからでもあります。

ごはんを食べながら愚痴をいったり、不安なこと話したり、思い出話したり、これからの話をしたり。ごはんを食べて泣いて、笑って。そんな時間が大好きです。

 

そしてこれはいろんな人に言いたいのですが、個人的にはダイエットとかもあんまりしないでほしいです。

着たい服があったり、すっきり見えたほうがいいなって思うことはわたしも多いですが体型は骨格とか体質もあるので、あんまり気にしないほうがいいかなと思います。(そういうところはアパレル業界なんかが悪いところもある気がします)

 

こじまは「足首らしい足首は痩せてもできません。肋骨と骨盤のバランスがこうなので胴はこれ以上は細くなりません。太ももは引き締まっても現時点で骨がこれだけあるのであまり変わりません。結論として、もうあまり痩せません」と怪我でレントゲンを撮ったとき整形外科の先生に唐突にピシャリと言われました!

「けれども全体的にいい骨をしているので大事にしてください。ごはんなんて抜いちゃダメですよ。代わりに栄養が骨とか筋肉から抜けちゃいますよ」

このとき、痩せません発言の衝撃の大きさに「いい骨とは…」と思いましたが、これが大事なことだということが今ならわかります。

 

なので食べるのをあんまり我慢して、健康を害してまで痩せてほしくないです。ごはんは悪でない!いっぱい食べたっていいじゃない!食べることが好きでいいじゃない!みんな、ごはんを楽しもう!

 

でも確かにバランスは大事!こじまも昔よりシュッとした感がでましたが、それは脂肪ではなく浮腫みだということがわかったみたいなことがあるので!体重と見た目とは関係ないことも往々にあります!「痩せること」と「ごはん抜くこと」は関係なかったりすることもあります!!けれども見た目でいろいろ決まってしまうのも事実ですよね…残酷です。外見についても思うところがたくさんあるのでまた今度…

 

そしてごはんについて思うことは、ほかにもあります。 

 

銀の匙』という農業高校を舞台にしたマンガで主人公がごはんを食べておいしいと感じるシーンで校長先生が

 

「食べておいしいと感じることができるのは、親が"ちゃんとした"ごはんを作ってくれてたからですよ」 (ちょっとうろ覚え)

 

と言ってました。

それを読んでわたしは「わーっ、そうだったんだ…」と思いました。

そして食べることが好きになったことは親の影響がかなりあるんだなと思いました。

(『銀の匙』はマンガもアニメも良いのでぜひ)

 

こじま親は特にごはんに関してはいろんな面で厳しかったですね。

箸の持ち方だったり、姿勢だったり、お茶碗の持ち方だったり、食べ方だったり。

ごはんを残すなんてもってのほかですね。(どうしても食べれないときは仕方ないけど、基本お残しは許されない)

 

でも、これについても密かに大事なことなんだなと最近になってようやく思えるようになってきました。(ごはんの度に、めためたに言われるのですごい嫌だった)

 

そして何より1番厳しいのが

晩ごはんを家で食べるか食べないかをきちんと連絡することですね。

これは作る量的な点でというより、連絡しなかったらずっと食べるのを待ってるんですよ。

こじま家は晩ごはんはみんなで食べる、が原則です。

なので、急に友達と食べに行くとなったときに遅くても20時くらいまでに連絡しないと怒られます。

 

でも、みんなで食卓を囲むことでいろんな話をして、そこで教えてもらったことがたくさんの場面で活きているなと感じます。たまに喧嘩もしながら食べてますが。笑

けれどもそんなときこそ、ごはんがいい緩衝材になってるんですよね。きっと。

 

やっぱり一人のごはんより、誰かと食べるごはんがいいですね!

わたし、一人暮らしになったら大変ですね!どうしましょう!笑

 

それでは!