こんにちは。こじまです。
今度雪山に遊びにいくのにあったかいなんて…
雪が溶けちゃわないか不安で不安でたまりません。
先日、外見は男の人に見える方の戸籍上の性別が女性であることがわかったことがあったときに、おばちゃんが驚き気味に近くにいた人にボソッと「あの人の性別、女の人ですって。おなべちゃんなのかな」というのを聞いてしまいました。
そもそもこのおばちゃんがしてることは守秘義務違反だし、その発言にもムッとしたのですがそれと同時に「あ、そっかー。まだまだこういう反応が世の中の"普通"なのかー」とふーむと考えていました。
自分と違う記号に対して好奇の目で見ることは別に何も間違いではないことは強調しておきます。そういう視線はなくならないけれど、突き刺さらないようになればいいなとは思います。
正直、性別とか友人関係とか"家族"に関する"普通"はわたしにとってはしんどいことが多いです。良くも悪くも「"普通"ってなんやねん。"みんな"って誰やねん」という発言が当たり前の家に生まれた育ったからかもしれません。
例えば、どうして結婚したとしても同性の友人と二人で出かけることは咎められないのに、異性の友人と二人で出かけることは出来ないのですか。恋愛は友愛より価値があるのですか。
ほかにも、昼間に住宅地にあふれている人々は老人と女性と子どもばかりで、どうしてそこに若い男性がいたら「仕事してないのかな?不思議だな」なんて思われないといけないのですか。そう思うことは、子どもの手を引いているのが女性ばかりであることを受け入れているのと同義だし、女性だけでなく男性に対しても概念の押し付けです。
なんで疑問に思わないのかのほうが、こじまは不思議です!笑
このようにこんなこと言い出すとキリがないです。
日々いろんなことに「ええー」って思いながら過ごしています。
特に男性はこうでなくちゃと女性はこうでなくちゃであふれている世界はしんどいです。
結婚とは男女が恋愛関係であって、子どもがいて。
男性が働いて女性が家事をして。
"家族"は血を分けていて。
あー!ほんまに!うるさい!笑
特に"家族"と恋人についてはもういろんな問題の集大成感がこじまの中にあります…
わたしが"家族"についていえることは『"家族"は血の繋がりがすべてではない』ということだけです。
恋人については今はというかこれまでの人生を通じて現在完了形で本気で欲しいと思ったことがない人生だって肯定してほしいです。笑
口では「彼氏ほしいわー」って会話の流れで言ったことあるけど全然本気じゃないし、別に今はいらない。無理、ほかのことで毎日楽しくて忙しい。なので大概その人に対しての好奇心が尽きれば、わたしの"好き"は終わります。笑
だから「彼氏できた?」って聞いてくることは挨拶みたいなものだとわかっていながらも、「大きなお世話だー!このやろー!」と若干ムカついてます。恋人を作る自由があるのなら恋人を作らない自由だっていいじゃないですか!
わたしは今のところこんな感じですが、ある日突然「この人しかいない!」ってビビビッと感じる人が現れたらどうなるかなんてわかりません。
それは女性かもしれないし、男性かもしれない。
歳は近いのかもしれないし、離れているのかもしれない。
恋人かもしれないし、友人かもしれない。
人かもしれないし、ほかの動物かもしれない。
そんな存在が現れるのは今日かもしれないし、死ぬまで現れないかもしれない。
ただただ、わたしの季節であって窓である"家族"ができたらなと願っています。
そんな"家族"ができる日を夢見ながら、こじまはしんどいなーと感じる"普通"との妥協点を探りながら、毎日を楽しく過ごしています。
"普通"が理解できなくてしんどいと思うことも事実であり、そのなかで"普通"に囚われないから「わたしの人生最高!」と思うこともまた真実なので。
それでは!
P.S.
いろんな意味をこめてアメリカの刑事ドラマ『インスティンクト』はすごくいい作品だったと推しておきます。このおはなしの冒頭でも述べたような、こじまの夢見る"好奇の視線が突き刺さらない世界"を体現してる!とこのまえWOWOWで観て感動してました。日本語字幕がついてるPVはなかったので、こちらをば。
・主人公の一人はゲイ。そしてその恋人もサブでよくでてきて主人公たちを助けてくれる。
・主人公たちの上司はアフリカ系で女性の管理職刑事
・その管理職刑事の婚約者はアジア系
短い話数のなかにこれだけの設定がありながら、作中で何も触れない世界観がすごくよかったです。