こじまのかべ打ち

こじまが話したいことを書き書きしてます。

教室とワンピースと私

こんにちは。こじまです。

 

 2018年にはいって1ヶ月が経ちました。

まだ2018年の実感が湧いてきません。笑

 

2017年の自分を振り返ってみると、ゼミに邁進したり、学生委員会がんばったり

アメリカ行ったりフィリピン行ったりしていろいろ学んでました。

 

そのなかで自分のなかで1番変わったなーと思ったのは『ファッションとメイク』

 特に夏から秋にかけてのころに突然「あ、楽しい」って特に思うようになりました。

 

今回はファッションにフォーカスを当てたいと思います。

 

これまでもファッションに自分なりに気にしていました。

でも、それはどっちかっていうと「ダサい」って言われたくないほうに比重をおいてたなと。

 

その昔、こじまは「ダサい」と言われたことにすごくショックを受けました。

 

きっと言った本人はもう覚えてないだろうけど、それなりにトラウマになるくらいダサいダサいと言われたので私は今でも根に持ってます。笑

 

ジージャンにジーンズスカート

スニーカーとリュックサック

スウェット生地のトレーナーにプリーツスカート

ジャケットの下にフード付きのトレーナー

靴から見える丈の靴下

 

ほんの一例ですがダサいと言われたラインナップです。笑

なんとなく分かると思いますが今、街を歩けば結構な確率で遭遇する格好です。

大教室の授業なら1人は絶対いるとも思います。

 

こじまは思います。

「ダサいって言われたのは一体なんだったのか」

 

 

TPOを考えて、自分の好みに合わせて好きな服を選んでいるのにどうしてそんなことを言われなくてはいけなかったのか。

10代だった私は笑って受け流したフリをして、素直に傷ついて、ダサいと言われた服たちは箱にしまいました。

 

でも、実はその意見に同調する必要はないと思いダサいと言われてもその服たちは捨てませんでした。今でも着てる服もあります。

けれどもダサいって言われて悲しいなと思ったことは絶対に忘れないです。

(今でも特にサーモンピンクのワンピースについて言われたことは一生忘れない!笑)

 

その当時より少し広い世界にでて、結局は「自分のものさしの押し付け」だったんだなと気づきました。

自分のスケールのなかでしか生きていなくて、そこから外れた私の服装は”ダサい”

そう思うことは誰だってあるし、私だって「ダサいな」と思うことだってあります。

私の”ものさし”ありきで人に意見したりもしてますし。

ただ、きっと私にダサいと言った人たちはそれを言われた相手がどう思うかなんて微塵も考えていなかったんだなと思います。

自分のものさしの外にも人がいることを知らなかったんだと思います。

(たぶんこの”ものさし”の話、あちこちで思っているので何回も話題にでるかも)

 

骨格とか色味とかどうしても似合わない服は存在してるけれど、好きな服着ていいじゃん。

ただ、人にダサいっていうのであれば自分もダサいって言われても怒るなよ。笑

人を批判していいのは自分も批判される覚悟があるやつだけだぞ。

(ルルーシュも「人を撃っていいのは撃たれる覚悟があるやつだけだ」って言ってたよ!)

 

いつかあの人たちが昔、私に対してダサいといった服装をしているのを見かけたら

「まだそんな格好してるの?今さら?ハッハハハハー!」って言ってやりたいかなと思ったけれど、わざわざ同じ土俵にたってやることもないかな。

 

だって、別にもうその人たちとは違う価値観に生きていて、それでいいかなと思ってるので。