こじまのかべ打ち

こじまが話したいことを書き書きしてます。

我がために努力はする

こんにちは。こじまです。

 

食器を片付けようとしたら手が滑って、素足の親指にフォークが降ってきました。しかもつき刺す側です。悶えました。

 

そんなことはさておき。

このブログを読んでいる方はよくご存知かもしれないですが、こじまはよく「頑張る」とか"努力"を口にするのです。

しんどいとか愚痴りながらもいろいろしていて、きっとわたしの周りには「そんなにやらなくても、いいんじゃない」 と呆れている人も多いと思います。笑

 

正直、今もわたしがそこまでやる必要のない"努力"をしています。それよりも立場的には卒論に時間を割かないといけないです。

今やっていることは『新年度が始まって走り出したものは止められない』というある意味、わたしとは関係ないところでの事情で動いているもので、学生の身分のこじまは突っぱねてもいいんだと思います。一応、慣習では引退した身なので。

 

けれども関わってしまうのは

『「投げ出した」という感覚になりたくない』というエゴが8割です。

残りは妙な責任感と使命感…かな。笑

 

例えるなら『3月のライオン』の主人公が中学生でプロ棋士になり、はじめは高校に進学しなかったけれども1年遅れで高校に入った理由を聞かれたときの返答に近いです。

31©羽海野チカ

あとから辛くなると「投げ出した」記憶に縋りたくなるんですよ。

『「投げ出す」ことをしても別に死ぬわけでもないし、なんとかなってるし。なんとなく世界は回っているし。』みたいな。笑

 

一度、「投げ出す」とそれをするハードルも下がります。

だから段々「投げ出す」ことに慣れていき、それをしていることに気がつかなくなり、「投げ出す」ことは別の何かに都合よく切り替わっていくものだと。

 

それに「やらない理由」を探して正当化させる論理を構築する時間を費やすよりも、やったほうが早いし得るものもあると思うのです。いろいろなことに。(それに、自分の意見を正当化しようと息巻いて論理を組み立てていくと、大概すぐ破綻するんですよ。)

 

わたしは『"努力"は必ず報われる』とは思わないです。

ですが、『"努力"は必ず活きてくる』と考えます。

 

何事も時期的な区切りや物事の結末まで見届けて、はじめてそこに至るまでの良かったことも悪かったことも自分の経験になり、人生の選択肢のカードの1枚になるのです。

やっぱり人生の手札はロイヤルストレートフラッシュにしたいじゃないですか!笑

たくさんカードを引けば、手札が揃う確率も上がります。それにポーカーを何度もすれば"賢く"カードを切る方法もわかってくるじゃないですか!(ポーカーあんまりしたことないけど!)

 

今日の"努力"が日の目をみるのは明日かもしれないし、10年後かもしれない。

もしかしたら死ぬまで結実しないかもしれないけれども進むしかないです。

 

わたしはいつか死ぬその時まで、飛べないなら走って、走れないなら歩いて、歩けなくても這っていくのです!

なぜならわたしがそうしたいから! 振り返ってみれば『全部自分のしたいことだった』と思いたいから!

 

今やっていることは区切りが来たらすっぱりやめます。2018年もしくは卒業という区切りで一度終わりにして、次の"引き出し"に新しい"努力"を詰めていこうと思います。

もう向こう5年くらいはこんな経験したくないです。ははっ。笑

 

 

今の状況下で卒論もちゃんと書き上げて卒業したら誰も文句ないですよね。

今していることから学ぶことは『10の労力で100の仕事をする』ですかね。笑

 

ただ、わたしも人間なのでたまには矛盾した愚痴もどうか温かい目で見守ってください。笑(人手も足りないので、あちこち至らないとこは許して…!)

  

それでは!