こじまのかべ打ち

こじまが話したいことを書き書きしてます。

We should talk anymore

こんにちは。こじまです。

 

3月ですね。

そして通算15年ほど住んでいるお家で寝て起きてをするのがあと1ヶ月を切りました。

東京に行く実感が微塵もありません。笑

 

ところで"批判"ってそんなに良くないことなのでしょうか。

このブログでは何度か書いた覚えがあるのですが、こじまのなかでは"批判"と"非難"は全く違うものです。

 

人はみんな違います。同じのようで同じでないことがたくさんあります。

さらに面倒なのが、使う言語が同じだと余計に"わかるっているようで実はわかっていないこと"になかなか気がつきません。

考え方が違う、正しいと思うことが違うなかで"いい塩梅"になる結果や方法を導き出すために、実は見えていないことを見るために"批判"が必要なのです。なので"疑問"も"批判"の仲間です。

 

その一方で"非難"とはただ相手を攻撃するためだけの行為で、その先に求めるものは何もないのです。

 

わたしは元来議論が好きな人間なので、"批判"することに抵抗がないのであまり気がつかないのですが結構労力がいるんですよね。

「こうじゃないの?」とか「なんで、そうなん?」とか言われると自分の考えを否定されて"非難"されている気分になってしまいますよね。

そういうときはそういうこと言ってる相手も何かを良くしようと思って発言しているのだと頭の隅の隅のほうで考えてみてください。

その人の指摘が自分が受け入れられないと思うのなら、そのことを相手にその場で口にして伝えてください。間違ってもSNSなんかに書き込まないでくださいね。それこそ、いつの間にか"批判"が"非難"になって人間関係がこじれます。笑

 

こじまが言いたいことは"批判"は会話のツールのひとつです

それとガンダムUCという作品のなかで好きな言葉の中に

『世の中のことすべては善意から始まった』というのがあります。

(この言葉の詳しい経緯は『機動戦士ガンダムUC EP4:重力の井戸の底で』を観てね!)

 "批判"だって何かをより良くしたいという想いに起因するのです。

自分自身のことや生活だったり。はたまた世界とか社会とか。

今の現状から何かしら変えたくて、今を批判して。 

 

「わたしはここをこうしたらもっと良くなる気がするのに」、「もっこういう世界になったらいいのに」という善意から"批判"は生まれるのです。もしかしたら、それはエゴになるかもしれないけれども、"批判"そのものを否定したらこの世は闇です。

"批判"することに資格はなく、誰しも"批判"する権利を持っているのです。批判することをためらっていては、現状維持という名の自己満足とも取れることもあるかなと思います。

 

なのでわたしは"批判"をしないことは何も見ようとしない、何もしようとしないことと、ある意味で同義だと思います。(強気)

わたしはエスパーじゃないので、言わなきゃわかんないことってたくさんあるって思います。だからこそ話さないといけないと強く感じています。

だからわたしは疑問に思ったことには「なんで?」と言うし、おかしいと思ったことや嫌なことも「それはおかしい」と言う。それから相手の考えも聞いてみることにしています。

 

けども、そんなことを言っときながら"意見を譲ること"はこじま、めちゃ苦手なんですよねー!はははーっ!

「わたしの考え方は!絶対っ!譲れないっ!うおー!」になりがちです。

もう少し自制はしたいなと思います。笑

 

あとはあくまでもわたしは"批判"をすることにかける労力に抵抗感がない人間だから、こういう思考なだけで世界中がこういう考え方になればいいとは思いません。

 

でもまぁ、第一印象が最悪でも話してみたら違ったというのと同じように"批判"もぜひもう少し気楽にしてみてください。 

また"批判"をすることと同じようにに嬉しいと思ったことは嬉しい、好きなものは好き、ありがたいなと思ったことはありがとうと表現しようと思います。

 

ま、とにかく画面にばかり向き合っていたり、特定の内輪だけで固まるのではなく、いろんな場面で自分の気持ちや考えを相手に伝えようとする姿勢が大事だとこじまは伝えたいのです!経験も知識ですから、いろんな人と話すほうがこじまは好きです。だからいろんな人の考え方を知りたいから"批判"を会話のツールに使っています。

 

 それでは!