こじまのかべ打ち

こじまが話したいことを書き書きしてます。

大学入試

こんにちは。こじまです。

 

燃え尽きていようがなんだろうがやるべきことは迫ってくるので、おちおち燃え尽きてらんないよというのが本音です。はよレジュメとレポート作れや、自分。

 

今日から共通テスト(?)だったんですね。看板で知りました。

センター試験があった日ってなぜだかめちゃめちゃ寒いんで、なんだかこんなにポカポカしていると変な感じがします。てか、もうそんな時期なんですね。

 

センター試験といえば、わたし3回も受けたので懐かしさはひとしおです。笑

国語の「スピンアトップ・スピンアトップ・スピンスピンスピン」はたぶん一生忘れない。あんなにセンター国語で点数取れなかったのはあの時だけですよ。自己採点して「は?」ってなりました。

 

センター試験を2回はゴリゴリの理系で受けて、3回目は文系で受けました。

3回目を受けるまで社会科目は地理しかやってこなかったので、約1年で日本史を自学したのが懐かしいです。地理B・日本史Bセンター試験に臨むという謎スタイル。(ちゃんと両方8割超えたのを誰か褒めて欲しい。笑)

 

今はゴリゴリの文系大学院生ですし、巡り巡って今やってることが高校時代から、変わり過ぎているのでよく「お前、理系じゃなかった?」と久々に会う人にはよく言われます。

 

そう言われて時々「もしかして自分は妥協したのでは」と感じて勝手に傷つくのやめたい。ほんと劣等感レベルをもう少し下げたい。

 

まぁでも、2年遅れて大学に入らなかったら会わなかった人もたくさんいるし、できなかったこともたくさんあるし、今大学院にはいなかったと本気で思います。大学院楽しい!

努力でなんとかならないこともあることや、なんかうまくいくときは意味わからんくらいにスルスル進むというのも"受験"で知りました。「あー、人生ってそういうもんなんだな〜」みたいな。

 

結局のところなんでも「〜たら・〜れば」は思い浮かぶんですけど、「ここまでの道のりは自分の選択だった」と思うと"間違ってたこと"なんて全然ないです。全部自分の意志だと思うと恨む相手もそもそも自分だけしかいないわけですし。

 

もはや、やること為すことのすべてが意地。笑

燃やせるものは命くらいなので燃やしてなんぼです。

 

実際、こじまの親は「大学行け」とは一言も言ってないわけですし。わたしがどうしても大学に行きたかっただけ。

言われた記憶があるのは「勉強するのが好きなら大学行けば?」と「世間一般で言う"良い大学"に行ったら親としての通信簿は上がるけど、上がったところであんたの人生に関係ないしな」くらいです。(こじま親は大学に大学院、就職にも全然口出ししてこなかったけど、いろいろ心配はしてたと思ってはいる)

 

わたしが大学受験し続けた大きな理由はとにもかくにも"大学"に行きたかったのと、"賢い"人に会う確率が上げたかったからと、"考えること"が好きだったからという感じです。

 

なんかでも、こうして浪人ができたのは紛れもなく親の経済力のおかげではあるので、時々それを公言するのは難しいなと思うこともあります。別に大学行ったからといって自動的に賢くなったり、偉くなるわけでもないですし。学歴よりも何を考えて、何をするかのほうがわたしはずっと大事だと思います。

 

けれども、それをこじまが言っても本当に説得力がなくみえるから難しいです。

「でも結局お前は大卒じゃん?」みたいな。

 

なんていえばいいんですかね。

自分の周りが背景も歩んでいるキャリアもバラバラなのと、そもそも人生の価値基準なんて主観ですし、一概に優劣をつけれるものでもないじゃないですか。

自分を肯定するためにも「その選択をあなたが精一杯考えて、決めたこと自体が偉い!」みたいなのをわたしのスタンスにしているけれども、おそらく多くの"普通"は違うんじゃないかという気がします。

 

そういう意味でも中高時代からの友達は本当に尊いなと。笑

なんか母校、今は進学校化しているけどこじまがいるときはそういうわけじゃなかった。実験的で、すごい学校だったんだなと今更ながら感じています。(逆に社会の縮図すぎてアレなときもままあったけど。これ、前にどっかで書いた気がする)

 

せっかく(?)なので最後に"受験"というワードに似合いそうな好きな曲貼っつけておきます。

 

それでは!

 

youtu.be

これ進研ゼミのCM曲だったんですね。(記憶がない。笑)