こじまのかべ打ち

こじまが話したいことを書き書きしてます。

今、書きたい何かがある

こんにちは。こじまです。

 

安定にお久しぶりです。

気がついたら2024年がやってきていました。

しかも2月です。

 

去年からずっとずっと狂ったように仕事をしておりました。

おかげさまで(?)こじまの残業時間を生贄にサービスリリースを召喚し、山場はひとつ越えました。

 

そんでもって、こじま入院しました!

病気ではなく怪我です。

 

何してたかというとスキーをしてたときに派手に転んで靱帯を断裂しました。ヤッチマッター

2月あたまのむちゃくちゃ忙しいタイミングでプッチンとやりました。

 

とはいえ、あまり怪我したときの記憶がなく当て逃げにあったのか、ひとりでに転んだのかわからないです。

とりあえずわけがわからないなか「これはヤバいやつだ」と本能が語りかけてきたので、「明日病院直行しよう」とだけゴロゴロ落ちながら決意しました。

 

とはいえ、怪我した当時は自力で宿に戻りまして…

しかも我ながら応急処置が良すぎたのか、本当に内出血も腫れもなくて…

東京駅まで1人で帰ってきました。笑(一緒に遊んでた友達は帰宅が関西だった)

 

ただ新幹線に乗っていて激痛に耐えられず、東京駅で救急車呼んでもらいました。

そこから1週間のうちに病院を3つはしごする目まぐるしさで話が進みます。

 

整形外科は夜はなかなかみてもらえず、とりあえず救急外来に運ばれる。

骨きれいだねー!内出血もないねー!

とりあえず松葉杖とシーネとMRIができる病院の紹介状もらい帰宅。

MRI撮る。うるさいと定評のあるMRIでこじま、うたた寝する。

2軒目「たぶん靱帯やってるっぽい映り込みだけど、うちの病院専門外なんだ…」

3軒目「切れた前十字靱帯が骨の間に挟まってそうだし、絶対足伸びないし手術必須だね!」

バレンタインに入院

 

以上、入院までをダイジェストでお伝えしました。

ちなみに最終的な怪我の程度は担当医曰くがっつり骨の間に挟まってたとのことで

「あ、全部切れてたな」

と悟りました。(MRIは影が見えるだけなので詳細は開かないとわからない)

 

しかも、がっつりスポーツ復帰するには冬くらいらしいです!

ジョギングですら6月くらいできるようになるらしいです!

なんか割と大怪我だったみたいです!

 

前十字靭帯の怪我ってよく聞くし、正直死んでないし、足あるし。

「完治まで日常はちょっと不自由だなー」

「仕事はデスクワークで良かったー」

と呑気に考えるくらいにこじま本人、現在進行形でヘラヘラしてます。

 

それにしても、まるで世界がわたしに休めと言っているのかと思ってしまうかのようなタイミングです。笑

でも本当にそう思うくらいに1月までのわたしは追い込まれてたなと、今なら思えます。

 

終電で帰ったり、休みの日に仕事したり。泣きながら意地でもタスクこなしたり。

もしかたら寝ても覚めても仕事だったツケが回ってきたのかもしれないです。

 

ありがたいことに10年選手の先輩や8年目のピカピカ先輩と同じように仕事をもらったため

上司・先輩から毎日、正論で殴られる手厚いご指摘を受けながら「とはいえ、こちとら3年目やぞ!!」という日々のなか

周りから「よくメンタルに来ないね」と言われてましたが、フィジカルにきました。笑

(本当に正論パンチに慣れてて良かったです。ありがとう、こじま家。ありがとう、学術生活)

 

そんなこんなで手術は無事終わりまして、明日退院となります。

ここ数年で久々に立ち止まる時間ができた12日間でした。

 

ぼやぼやとした時間を過ごす12日間で考えたことはいろいろありますが、

特にこれまでの自分を顧みることが多かったです。(あとはだいたいずっとゲームしてた)

 

やっぱり遊ぶのと同じくらい仕事は好きだなぁとか。

考える仕事が良いなぁとか。

<貧すれば鈍する 鈍すれば窮す>な日々だったなぁとか。

窮したから次は通ずかなぁとか。笑

 

正直、書き出すとキリがないです!

 

うーん。

やっぱり書き始めると止まらないので、やはり頭の中がおしゃべりです。

うむ、定期的に、意識的にブログは書こうかな。自分のために頑張らないと程度にがんばろう。

 

てなわけで入院生活のこととか、考えたこととかを

これからちまちま書きだそうと思います。

 

このブログをまだ読んでくださる方がいましたら、またここでお会いしましょう。

 

それでは!

"ステージ"であいましょう

こんにちは。こじまです。

 

前回あげた記事がどうやらこのブログで100記事目の記事だったみたいです。

 

そんでもって、このブログをはじめて5年になります。

 

ブログを始めた頃は大学院にも東京に行くなんてことも想像していませんでしたし、こんな仕事をして、あんな部署にいって食い扶持を稼ぐだなんて夢にも思いませんでした。

 

ほんと人生ってなにがあるかなんてちっともわからないです。

 

さて、自分のことですら5年でいろいろあったなぁと思うなかで、人間関係変わったなと思うことも多い年頃です。

 

住んでる場所が近くなったり、遠くなったり。

毎日のように会っていた人と1年に1度会えば多い方になったり、逆に顔見知り程度だった人と毎月遊んだり。

 

特に今年で29歳にもなるわけなので、周りの同世代は結婚したり、子供ができたりといった契機でいわゆる"人生のステージ"が変わる人が多いです。

 

特に結婚という"ステージ"が多いです。

いわゆる結婚ラッシュだ!とつい思ってしまいます。

 

ちなみに、そんな周囲の雰囲気に対してこじまは一緒にごはんを食べてくれる人がいるのはいいなぁと羨ましく思いつつも、結婚的な意味合いで"ステージ"が変わる気配が微塵もありません。(どうして!笑)

 

そんな感じで"ステージ"が変わる人が多いけれども、久しぶりに会っても、個人的に劇的ビフォーアフターを感じるようなことは、あまりないなという気もします。

 

そうわたしが思うのはきっと"ステージ"って階段じゃなくて、反復横跳びなんだなって感じるからかもしれないです。

 

時々、人生の"ステージ"は階段のように表現されることが多いと思います。

一段ずつ積み上げていく、登っていくような。

何歳までにあれして、これして。

 

でも本当は反復横跳びのラインのようにそれぞれが同じ高さにあって、ぴょこぴょこ飛んで会話する相手と共通の"ステージ"に移動するそんなイメージです。

そして、自分の今いる"ステージ"の隣の"ステージ"が自分の立っている位置で変わるみたいな。

 

だから稀に聞く当時の友人と会話に違和感が出てくるという手の話は、そのときの"ステージ"までの移動距離が変わってくるからではないでしょうか。

 

「高校時代」の"ステージ"が1つ隣だったのがだんだん2歩向こう、5歩向こうに、そうやって遠くなって、すぐ戻れなくなって。

 

1歩動けば戻れる当時の友人がいたとしたら、そこで価値観が合わなくなっていくような気持ちになって"当たり前"だと思います。

だって、戻るためにかけてる労力が違いますから。

 

その相手との時間が終わったらまた"ステージ"を横跳びで移動するので、共通の"ステージ"が遠ければ遠いほどしんどくなって当然です。

 

でも、それでいいと思います。

だってその"ステージ"に来る・来ないだって自由なんですから!

 

階段みたいに上とか下とかがあるわけじゃないので、立ち位置での優劣みたいなのを感じなくていいと思いますし、なんてったってあの頃と今では自分の周縁にある"ステージ"が違っても、また何かの拍子に同じになったり、ひょんなことで近くなったりすることが月日を重ねる醍醐味の一つではないでしょうか。

 

高校時代の"ステージ"が近いわたしは変わってないと思っただけで、もしかしたらあの時あったあの人はわたしを遠く思ってたかもしれないのもまた一興ということで。笑

 

そんな取り留めのないことを中高時代の友人に会うことが多かったゴールデンウィークを振り返りながら、屈託のなく素直に人生を生きたい気持ちに悶えながら『スキップとローファー』を鑑賞した週末に考えたこじまでした。

 

それでは!

 

 

 

 

 

 

残業参稼

こんにちは。こじまです。

 

前の投稿から半年も時間が経ってしまいました。

どうしていつも時間の流れはこんなにも早いのでしょうか。

 

ここ最近、あんまり読まれてないと思っていたこのブログを「実は読んでる」報告をちょこちょこ聞くので、忙しさにかまけずに書こうかなと思い筆をとった現金なやつです。笑

 

さて、書けていないこの半年のあいだに色々ありました。

 

まず大きな変化は4月。

こじま、所属部署が変わりました。

 

うちの会社は伝統的に異動が決まったら爆速で引継ぎをしなくてはならず、異動を知る=辞令がでてから10営業日での着任で死ぬかと思いました。

 

あと引継ぎのタイミングになってなんで問題とかって起こるもんなんですかね。

あとはすこぶるわたしと後輩の仕事での相性が悪いことを痛感した引継ぎ期間でした。

 

今は会社の新規事業に関わるグループになり、毎日やったことないことばかりに直面して脳みそは爆発しそうです。(あと、たぶん半分くらい泥舟に乗ってる)

 

でも、めちゃくちゃ楽しいです!労働最高!笑

 

基本的にはこじまは事業に途中参加のため、先輩たちが中心にいろいろ動かしていますが、少人数でやっているので先輩たちの手からこぼれ落ちたものが回ってきます。

 

とはいえ、担当者の名前はでかでかとこじまと書かれているので責任はそれ相応です。

ある時は規約のことを考えたり、その次はプロモーションのことを考えたり、はたまたデータのことを考えたり。

 

気を抜くとお昼食いっぱぐれます。

割と真面目に食いっぱぐれます。

(これは食い意地がはってるわたしには死活問題です笑)

 

毎日何時間も打合せでたり、考えたり、資料作ったりで平均1日10時間労働はたぶんしてる気がします。

 

時間をたくさんかけたからといっても、きちんとやれることなんて全然なくて、会社のことも全然わからなくて。作業効率で考えると全然良くなくて。

 

毎日先輩にあれやこれや質問して、おろおろして1日が終わり、「今日も何もできなかった!くやしい!!」とめそめそ晩ごはんをかきこみます。

 

そんな1日ばっかりでも、なんでか楽しいんですよね。

泣きながらご飯食べてるのに。

 

毎日わからないことばっかりで、正解なんてわからないことだらけで、駆け回って。

 

しんどい思いはたくさんしてる自覚はあるけれど、毎日"自分の頭で考える"仕事ができる機会は人生の中でそうそうない気がして、自分はラッキーだと思います。

 

こんな風に頭が爆発しそうになるほど悩めることなんて、この先の人生であと何回あるんだろうかなって壁にぶつかるたびに考えます。

 

等価交換とはいえ、このしんどさを対価にして得られる達成感や喜びはいつになるかは分かりません。

 

もしかしたら50年先かもしれません。

 

世の中のだいたいは不条理でできているって思っていても、こんなん楽しまなきゃ損じゃないですか。

 

人生は楽しんでなんぼですから。

 

とはいえ、心が忙殺されるとさすがに死んでしまうので最近の小さな目標はド正論パンチを繰り出す先輩に褒められることを掲げています。

 

ぼこぼこにいつも殴られていますが、私がきちんと頭で考えた論理が通っていれば、すんなり納得する先輩なので、いつか絶対にわたしのことを褒めさせてやったろやないか精神で生きてます。

(あ、ちゃんと上司・先輩とは仲良いですよ!わたしからごはん行きましょうよ!って駄々こねるレベルですから!)

 

うーむ。

ほんとは今回の更新は近況はさらっとで本題は別にしようと思って書いていたんですが、久々に書くとまるっと1本分の文量になっちゃいました。

 

それだけ近況にたくさん思うことがあるんですかね。

 

さて、前の部署で最後の挨拶回りのときにいろんな人に「自分を大切にしてね」と言われたので、あまり無茶せず仕事に向き合っていこうと思います。

 

ちゃんと寝て、ちゃんとご飯食べて仕事します。

まあ、どうせ側から見ればすでに身を削ってますが!笑

 

書きたかった本題もまた近いうちに。

 

それでは!

 

 

 

 

 

 

 

望むように人生を。

こんにちは。こじまです。

 

秋の夜長ですね。

仕事をしているとあっという間に夜です。

そんななか、ここ最近はガンダムの新作を観ることが毎週の楽しみです。おすすめです。(『水星の魔女』についてはおいおいブログに)

 

さて、今日の本題は某アイドルについてです。

某アイドルグループから3人が抜けて、2人が残るというニュースが11月のあたまくらいにありました。

 

こじまはこのグループについてはコンサートに行ったこともないし、CDも買ったことないけど、ここ最近のコンセプトや曲とダンスは好きでYouTubeでちょくちょく観てたくらいの程度です。

 

かなり有名なグループだったので、話題になっていました。まだグループとしても若いですし。

とはいえ、そんな騒がんでもええやんと無責任に思っています。

 

わたしは好きなバンドの解散とかアイドルの脱退自体は何度か経験していますが、いつも転職みたいなものだと捉えているので、分解自体よくあることだと思っています。

 

その人たちが作り上げたもの、築きあげたものはわたしの中で生きていますし。

とはいえ、同じ熱狂のなかにずっと一緒にいれると思っていたのに、そこに残される側はやっぱり寂しいですよね。

 

さて、今回グループ分解で話題になったメンバーのなかでこじまが1番好きだった人のグループをやめる理由が「誰かがやめるなら、やめる」というものでした。

 

その理由に対して仕事を舐めているのかとか、意味がわからないと憤慨しているコメントもちらほら見かけました。

 

そう言いたくなる気持ちは毎度わからなくもないですけど、アイドルに掛けたお金と時間はその人たちをどうこうできる権利ではなく、パフォーマンスへの対価なのでお門違いじゃないかという気がします。

 

いけない話が逸れました。笑

さて、わたしはそのやめる理由を読んだとき、

「あぁ、この人はどんな仕事するかではなく、誰と仕事をするかにすごく重点を置いていた人だったんだな」

ちょっと画面の向こうのアイドルにシンパシーを感じました。

 

わたしが毎日のように21時過ぎまで会社にいても、頑張りたいと思うのは好奇心が駆り立てるものが大きいですが、残りは今のチームメンバーの役に立ちたい、この人たちに褒められたいという気持ちに拠るものです。

 

じゃなきゃ、行きたい部署を聞かれて「どこでもいいです」と言ったとはいえ、一緒に仕事をする人たちと相性が良くないとここまでフルスロットルに仕事に向き合えないです。笑

 

だから、彼がそのグループとしての仕事やめる理由はなんとなくわかる。

あくまでもこじまの想像、勝手な解釈でしかないけれど6人から5人になったときに、すでに相当ダメージがあったんだなと。

 

もう誰かがやめるっていうときに押し寄せる感情の一撃が、仕事をするぞ!という気持ちを上回ったんだなと。

 

“他人”が自分に理由をくれることは辛いことも続けられるほど強くもなれることは高校生時代に身をもって経験しました。

高校生時代の部活が本当に嫌だったんですけど、同い年の他校のメンバーだったり先輩たちがいい人たちだったので自分の学校としては同期や先輩がいなくてもやりきれました。

(つい、そのときからの友達に会うときはいつもこのことを繰り返し話してしまうくらい"人"の力ってドデカいものなんですよ…)

 

まぁ、勝手に“他人”に自分の理由をおっかぶせてるとも言えるんですけどね。笑

 

原動力の大半を“他人”によせると、自分が思い描いた“他人”でなかったり、いなくなったとたんに自分も崩壊するほど脆くなることがあるくらい諸刃の剣なモチベーションです。

少なくともこじまにとっての“他人”はそういうものです。

 

それは時に責任転嫁とも言えますが、立派なモチベーションだと思っています。

 

やっぱり人を突き動かすものは"人"なんですね。

 

「誰かがやめたら、やめる」は裏を返せば、それだけそこに至るまでのどんな良かったことも辛かったことも分かち合う“他人”が彼にとってかけがえのないものだったとことの証明ではないでしょうか。

 

とはいえ、真相・真意は本人しか知らない藪の中です。

冒頭でも少し書きましたが、たとえ彼が業界からいなくなっても彼と、グループとそれを支えてきたプロダクトチームが作ったものの欠片で、わたしの一部は構成され、糧になり、今日も生きています。

 

ありがとう、King & Prince。

短い間だったけど、ダンスかっこよかったです。

 

ありがとう、”神宮寺勇太“という名のアイドル。

画面の向こうにいるなかで、1番周波数がこっちに近いと感じるところが好きでした。

いや、今も好きです、かな。笑

 

みんながみんなこれからも、やりたいこと全部できるような人生を送れたら万々歳ですね。

 

そんなことを一端のファンとも呼べないかもしれないこじまは、ひっそりとネットの片隅でブログを綴りながら願っています。

 

それでは!

 

最後にわたしが1番好きなキンプリの曲をば。

https://youtu.be/YMErhJXZhp0

P.S.元気です、こじま

 

こんにちは。こじまです。

 

気がつけば11月です。そしてなんだかかんだの半年ぶりの更新です。

毎日22時近くに退社したりしたら、家でおとなしくしている時間がなくなってしまうのがいけない。

1日はどうしてこうも秒で終わるのでしょうか。もしや、これが歳をとるということなんですかね!笑

 

ブログを更新しない間もこじまは相変わらず週7で"こじま"やってました。

 

あ、見た目はちょい変わりました。

だいぶ髪伸びました。

前髪なんて五億年ぶりくらいに作っちゃいました。

 

会社員生活については、部署はそろそろ変わりそうですが、毎日楽しいおもちゃをみつけては時間を溶かしています。

 

チームメンバーはガラッと変わり、なぜかわたしがチームで2番目の古参になりました。後輩もできました。

まぁ、後輩の一挙手一投足にやきもきしたりイラついたりするので、世の中の子育てしている人たちは天才だなと思った半年間です。

後輩に日本語通じていて、毎日イラついているのに言葉の通じない相手と向き合うのはすごいです。

 

上司の「絶対お前は後輩ができたら『こんなこともできないのか』って思うぞ」という予言は大当たりです。

なんでこんなこともできないのか。

まぁ、歩んできた人生が違いますもんね。部分的には致し方なしとします。

部分的には。笑

 

そんな後輩に構ってばかりではいけないとわかってはいても、視界には入ってくるし、フォローするのはわたしだし。

 

ううーっ。つい安全装置を作動させてしまいます。

 

失敗するのが目にみえてるのに手を出さないってなんて難しいです。

後輩にこじまが怒っているのはもはや、うちの部署の日常くらいになってしまっているので、たぶんわたしの怒りというか指摘はもう後輩に響かないんだろうなと感じています。

同じことを何度も言ってるし、たぶんピースを拾い集めて根源的なことに辿り着くことが得意じゃない子だから。

わたしと仕事のスタイルが違うから、もうわたしのやり方が伝わることには期待していないです。

わたしのコピーが作りたいわけでもないし。

 

わたし以外の人からいっぱい指摘されたり、やらかしたり、くやしいと思った後にどうするかは本人次第ですから。

 

がんばってくれ、後輩。

 

かくいうこじまの90%は反骨精神でできているので、できないこととかあったりムカついたら

「やられたら、やりかえす。できないことは、できるようになってみせる。それも相手がぐうの音もでないくらいの正攻法で叩いてやんよ」

と心のヤンキーがすぐ殴りにかかるので、いけないと毎度自戒しています。

(喜怒哀楽が顔にすぐでると言われる時点で、ヤンキーをいなせているのかは些か疑問ではありますが)

 

わたしの仕事に文句いうやつは、人事評価をみせてやんよ!笑

仕事はチェスや将棋と一緒であえて自駒を浮かせて、とらせることだってって正攻法ですから。

ルールに則ればすべて正しい攻撃なんですよ。へへっ(悪い顔)

 

そう思う反面、自分の首を絞めたなとも思ってます。

維持することがしんどい滑り出しをしていまいました。

 

兎にも角にももっと先にいくために、もっとワクワクすることができるように粛々と、真摯に目の前やるべきことをやるだけです。

やるべきこと達成するために本は読みたいし、漫画も読みたい、新聞だって読みたい。

アニメも映画もドラマも観たいものが積もっていく。

遠くへ行きたいし、近くも行きたい。家にこもってゲームしたい。

おいしいものだって食べたいし、いっぱい寝たい。

 

うーん。

 

やりたいことがいっぱいあるのに24時間は短すぎます。

 

やっぱり48時間はくれないとね。

 

それでは!

 

【今回のアイキャッチ

弾丸でいった沖縄の朝日みたいな夕日

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だからわたしはおしゃれする

こんにちは。こじまです。

 

会社の同期がネイルをしているのがめちゃくちゃかわいかったので、勢いで人生で初めてネイルサロンに行ってきました。

 

手元がすごくかわいくなりました。わーい。

 

こじまが働いている会社は2年ほど前から私服化したので、ジーパンとかトレーナーとかでもOKです。

しかもわたしの部署は完全に内勤なので、ピアスを開けてしまえるくらいに節度を守ればある種のやりたい放題です。

 

成人以降のこじまはおしゃれが死ぬほど大好きなので、毎月の服飾費がえげつないことになっています。

欲望のままに生きるのは今年度いっぱいまでと決めているので、もうそろそろ支出も終わらせないとです。

 

じゃないと、服に埋もれて死んでしまう。笑

 

化粧はもともとは20歳になったときに、母親に「嗜みの一つ!」と、デパートの化粧品売り場にずるずる引っ張っていかれたことがきっかけでした。

 

その時、顔を変える楽しさを知りました。

 

初めてのデパコスはRMKだったので今でも思い入れは強く、ずっとわたしのポーチ内の一軍です。

あとRMKと同じくらいイヴ・サンローランが常にいる。

 

もうアイシャドウひとつで顔が変わるんですよね。

誰も気がついていないかもしれないけれど、毎日服を変えるようにアイメイク変えてます。(本気)

同じような色でもブランドが違えば、色味も質感も違うんで別なんですよ!!!!

 

服が昨日と違うんだから、メイクもそりゃ変えたくなりますよ……

 

あとはわたしはデパコス(デパートで売ってる化粧品ブランド)ばっかり集めてます。

プチプラでも代用できるものもたくさんあるんだと思いますが、こじま的にはテンションが上がらないのであまりプチプラ使わないです。

 

なんていうんでしょうか。

たぶん、わたしはブランドものをもつと気合が入るタイプなんですよね。

これは服も持ち物でも同じですね。

 

「このブランドが似合うように自分レベル上げてやろう!」みたいな。

 

ブランドもの好きですけど、ゴリゴリにブランドってわかるものはあんまり好きじゃないんですよね。

「ブランド持ってんぜ!オラァ」はポリシーに反するんですよね。

見せびらかすよりも、自分で持っててニマニマしていたいです。笑

 

それと、嗜好品を手に入れるためにも仕事頑張ろうといったようなモチベーションにも繋げています。

実は会社員になろうと思ったのも、「あれもしたい!これもしたい!」という衝動をお金で解決しやすいのもあったりします。

これはいつぞやにも書いた、人生の手札を増やしておきたい発想から来ています。

 

ま、話が少しそれましたが化粧とかおしゃれとかは、結局は自分のものさしでしか測れないので、わたし個人としては「やりたい人がやりたいだけ、やればいい」と思います。

 

おしゃれは自分のものさしでしか測れない自己満足の世界ですが、鏡に映る自分を、自分がさっきよりも好きになれる。

 

そしたら、もっと今日が楽しくなる。

明日もきっと楽しくなる。

 

……ような気がする!

 

おしゃれなんて、その程度のものだと思います。

 

だから、他人にとやかく言ったりするのはあんまり好きじゃないです。

まぁ、これはダサいって他人から言われたことがあるから、余計そう思うのかもしれません。

謎の反骨精神のような何か。笑

 

でも、今では「服選んでほしい!」とか「おすすめのコスメ教えて!」と友達から言ってもらえて、ちょっぴりありがたいです。

 

わたしが良いと思うものを「いいね」って言ってもらえると、やっぱり嬉しいです。

 

けれども、別に自分のおすすめしたものを買ってくれなくてもいいです。

人それぞれの"ときめき"を大事にしてほしいかなって思います。

 

これからの人生経験で感性が変わろうとも、楽しむ気持ちは変わらないと信じてこれからも、わたしはわたしの尺度でおしゃれを楽しんでいきたいと思います。

 

たとえ生活必需品ではなくとも、おしゃれにコストを費やしたい欲求はこじまを日々邁進させるエネルギーのひとつなのです!

 

それでは!

 

ただ私論してるだけ

こんにちは。こじまです。

 

ワクチン接種の3回目の副反応で会社を休んで2日目です。

仕事がひとやま越えたことでホッとして気がぬけてしまったのかもしれません。(でも、たぶん山は越えていない)

 

案件の山場が差し迫るなかOJT先輩が遠慮なく連休をとって、案件担当者がぺーぺーのこじまだけになったりで各部からの照会をさばきながら、案件進めて。

そんなわたわたしてるときほど、トラブルは起きるし。

(さすがにかつてないほどのどデカい案件の山場がわかってるのに、ペーペーを置いていくのはヤバいと思いました。休暇は権利だけどさ…OJT先輩、最近こじまに仕事押しつけがち…ちゃんとやるけどさ…この状況を上司と隣席先輩はわかってるから、ありがたいかぎりです…)

 

でも、わたしも2日もお休みしちゃってるのでお互いさまですね。笑

 

他部署のポカの帳尻合わせ&尻拭いをしながら

「おたくのせいでお客さんに迷惑かけちゃうんですけど〜!?!?」

「謝ってこいよ!!!チャットで『すいません』じゃねぇんだよ!!!」

と心でキレながら残業していました。

 

同期に愚痴ったら「結構マジで怒るの珍しいね。本気で怒るとめちゃ関西弁でてる」とにゃんにゃん被った東京人の皮が、剥がれかけたりと

そんな色濃い2月でした。笑

 

本当、会社にはいって初めてしんどいと思いました。泣くかおもったわ。

上司には「それ感じるの遅くない?」と笑われました。うん、わたしもそう思います。笑

 

仕事しながら心のなかで『ハイキュー!!』の稲荷崎高校のキャプテン北信介の

喝采はいらん ちゃんとやんねん」を心で繰り返し唱えながら仕事してました。

 

昨日を守って何になる!トラブルからいっぱい勉強できた!!

今回のことでまた1つ賢くなったなぁ!!

昨日学んだことから今日何するか、そんで明日にどう繋げるかが大事やねん!!

『思い出なんかいらん』のや!!うわー!!!

(稲荷崎戦も名言いっぱいある…また書きたい…あ、あとアニメ見返そ…電子でもういっかい単行本買うかな…)

 

さて、前置きが長くなってしまいました。

先日学部時代からの友達と東京でお茶してきました。

 

はじめて代々木ら辺をぶらつきました。

代々木上原にモスクがあってので見学しながら、

「なんでモスクの上階は女性だけなのか」とか「なんで代々木なのか」とか2人して調べだしたり

ハラールマーケットでタスビークリッカーなるものをみつけて、唐突に友人にLINEしたりしながら

「こんなんゼミのフィールドワークやん!」と笑い合いました。

(ちなみにその後、表参道まで歩きました。さすが山道を走ったり、ダイアモンドヘッドを共に登った仲です。笑)

 

そんな仲良しの友達がまたひとつ人生の選択をして、すごいなぁと思いました。

物理的な距離は今よりも離れまてしまいますが、なんとなく王道をいかない者同士このまま緩いけど濃い関係性が続けばいいな。

 

そんな友達と話しながら、お互いにいわゆる"普通の社会のレール"に乗れていないことを

引け目を感じてて、それぞれ思い悩む瞬間がある気がしました。

 

別に人生に正解があるわけではないし、絶対に失敗しない道があるわけじゃないのに

"社会のレール"という言葉があることは王道があるという証明に近しいわけで。

 

そこにわたしはうまくはまって生きてはいけてないけど、楽しいことはあるし、ちまちまと前には進めています。

もしかしたら、よくいう"社会のレール"っていうのは実はレールじゃないのかもしれません。

 

じゃあ、なんなんだと考えたときに目の前にあるのはレールなんかじゃなく、

ただの轍なんだという答えのひとつに行きつきました。

 

自分が歩いている道はぬかるみで、信じることができるのが誰かが通った轍しか残っていない。

そこ以外は道なのかわからない。だからそれを信用するしかない。

というほうが、わたしのなかでは妥当な気がしました。

 

むしろ、レールは自分の通ってきた道のほうではないでしょうか。

たしかに自分がここまで歩いてきた道は疑いようもないじゃないですか。だって今、自分がここにいるんですから。

 

時々その自分が築きあげたレールに乗って昔を思い出したり、また目の前のぬかるみにレールを作って。

そうやって、人は毎日を過ごしているんじゃないでしょうか。

 

みんなレールを作っているけど、それぞれのレール幅は列車によってその幅が違うように人それぞれなのに

一見同じレールに見えるから、作るのが遅れているんじゃないかって勘違いしたりしてるんでしょうね。きっと。

 

と、休息期間のこじまは喧喧囂囂と頭のなかで議論して考えました!

 

さいごに友達と一緒に見学したモスクの写真を載せおきます。

 

それでは!

 

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