こじまのかべ打ち

こじまが話したいことを書き書きしてます。

悩むよりGO GO

 こんにちは。こじまです。

 

あれ書きたい、これ書きたいを巡らせていたら、なんだか知らないうちに7月です。いったい6月は一体どこへ行ってしまったのですか…

 

最近ぼやぼやとモノを考える時間が少しできたので、ふと去年のことを思い出していました。ちょうど去年の今ごろはロサンゼルスにいたなぁと。1年とは早いものです。

(ちなみにトランジットがホノルルで時間もあったのでワイキキビーチ眺めたり、Mac Book諸々担いでダイアモンドヘッド登ったりしてハワイを満喫(?)したのもいい思い出です)

 

そもそもどうしてそんな時期にロサンゼルスにいたかというと、Anime EXPOに参加するためでした。毎年7月の1日から4日にかけて開催されるアニメや漫画関連のイベントです。いわゆるアメリカ版コミケみたいなものです。

 

なんで行こうと思ったかというとただ単におもしろそうだと思ったからです。

それだけです。

 

以前のおはなしにも書いたような気がするのですが、基本的におもしろいことをして生きていきたいタイプなので、ほいっと「ロサンゼルス行きたい!Anime EXPO行きたい!」と言い出しました。本当に清々しいほどに安直。

(その安直なわたしの思いつきに付き合ってくれた方々、本当にありがとうございました)

 

こういう発想で生きているので、すぐ自分の預金残高と戦うことになるのですが後悔することはほとんどないです。固定費以外は思ったことにやりたいこと、欲しいもののためにお金は稼いでいるので!(まぁ1番いいのは「やりたいことでお金が稼げること」ですね。けれども難しいです。笑)

 

そういうおもしろそうだと思ったときの直感はスーパーで「買ってくれ!」と叫んでいるお肉に遭遇したみたいなかんじです。そういうお肉は本当においしいことが多いんです。笑

そういう感覚って今までの自分の経験や知識が折り重なってできているものだとわたしは思います。つまりは自分の肌感にあうものを選んでいる確率も高いわけです。だからこそ自分にとってそれはすごく実りあるものだったり、過程が価値のあるものになる可能性が高いのかなと。

実際にロサンゼルスに行ったこと・行くまでのことはわたしにとってすごくいいものになったので、こうして1年後に回想しているわけなのです。笑

  

そういう感覚を信じていくことがいわゆる「自分らしく生きる」ということなのかもしれませんね。この感覚はきっと今よりも"貧しく"なっていくと鈍ってしまうのでしょう。『貧すれば鈍する』ですから。わたしにとってこの感覚は大切にしているので、そういう意味で"貧しく"はなりたくないなと。笑

 

しかしながら世の中"貧する"確率はどんどん上がっていっている気はします。好きで"貧する"人なんてそういないと思いますが、なりたくなくてもなってしまうことがある世界です。世知辛いですね。

 

そして"安定"し"富める"とされるレールから外れた生き方は感知されることもないまま「幸せではなかった」という烙印を押されてしまうことも少なくないと思います。

 

ここで『オメラスから歩み去る人々』という作品を紹介します。オメラスという場所は"完璧な理想郷"です。けれどもそこはとある犠牲によってすべての"幸せ"が保証されている"素晴らしい"世界です。誰もがその犠牲のうえに"幸せ"があることを知っています。そして、その街から去っていく人がいるという物語です。(この作者の作品は大概しんどいです。『ゲド戦記』然り…詳しくは作品タイトルで検索!検索!『オメラス~』は短いのでぜひとも読んで欲しいです)

 

その物語のように今あるとされる"安定"と"富"よりも、そこから歩み去ることを選択してもまた間違いではないと思います。もちろん、いろんなことを知って考えないとただの放蕩になってしまうとは思います。笑

 

そういうわけで紆余曲折ほどもないですが、なんやかんや来年からのわたしの社会的身分はまだ決まっていません!笑

 

安直に直感を信じられる場所に行きたいがため、いろいろと考えた結果レールから外れる。

なんだか矛盾しているような、してないような。

いいんです!世の中矛盾に満ちていますから!笑

  

まぁ、とにもかくにも来年も生きているつもりです!笑

(ちょっと心配されてしまったので、水面下で動いているよという経過報告までに…)

  

それでは!

 

 余談ですが以下『So what』と『楽園』という曲のわたしのお気に入り歌詞を抜粋で紹介します。

どちらもいい歌詞(こじま基準)なので全文読んでもらえたらと思うので、また暇なときにでも検索してみてください。(訳はいろいろとあると思うのでお好みのものをみつけてください)

この180°志向の違う2曲が同じアーティストの1つのアルバムに入ってるのって、なかなかにパンチ効いてるなって思います。笑

 

 『So What』

Someone call me right one. Someone call me wrong.

けど僕は気にしないよ。君もそうしたら?  

思い通りになるものなんてなくて、隠れる場所なんてなおさらなくて。

とうの昔に賽は投げられた。ぐずぐずしてたら流されるぞ。

悩みの9割は君が作り出した想像の沼  

境界線上でピンチになったとしても、笑って騒いで風を切ろう。

時には愚かにバカみたいに走って、失敗と涙の中を進むんだ。

So what 立ち止まって悩むのはやめよう。

どうせ全部無駄だから。

 

『楽園』

そうマラソンさ、マラソン。長い人生、ゆっくり行こう。

42.195 その先には楽園が待っている。

けれども現実世界はそんな約束通りじゃない。

僕たちは走らなくちゃ。歩かなくちゃ。

信号弾を放ったのなら、君には何の目的地もない。何の展望もない。

息がつかえて苦しい時、止まってもいいじゃない。

何も理由がわからないまま走る必要はない。

夢がなくても大丈夫。少しでも幸せを感じる瞬間があるのなら。

 未来だけが夢というのなら、僕が昨日の夜ベッドで見た夢は何さ。

夢の名前が違ったっていいじゃないか。

来月ノートパソコンを買うこと。

それともただ食べて寝ること。

なんにもしないでもお金がたくさんあること。

夢が大きくて何が悪い。どんな夢を見たって

We deserve a life

何が大きかろうが小さかろうが君は君でしょ。 

 

 

 

僕と"僕"と僕の生きる道

こんにちは。こじまです。

 

ここ最近の自分のなかでのモットーは『人生は"アイドル"だ』です。

それは別に「外見がどうのこうの」とか、「ファンがいるからどうのこうの」ではなくまた違う意味で考えています。

 

まず"アイドル"は表現者という括りのなかでは最も周囲の人々から「こういう人でいてほしい」という願望を向けられる存在だと思います。なので"キャラクター"が作り出され、それに適った行動を求められます。その"キャラクター"はどこまでもついてきて。本当の"自分"はそっちのけで、社会との接点ごとにある自分において「なりたい自分」「求められる自分」の狭間で悶々とし続けなくてはいけません。

 

 またほかにも人生と"アイドル"が繋がるなと感じる部分は『舞台は自分ひとりでは決して成立しない』ということ。月並な言葉で言うなら『人生誰もが主役』です。そして『人生誰もが誰かの裏方』です。自分の努力がどこに行き着くのか。矢面にたつことは辛いけれど、ステージを突然放棄してしまうことは自分のために尽力してくれた人たちの気持ちを蔑ろにしてしまうなと。(だからといって死にたいと思うまで頑張れという話ではないです)

 

アイドルを追いかけるようになってから、ぼやぼやとそんなことを考えながら自分の糧にして生活してます。(こんなこと考えてみてるから研究対象に対する目線とか言われる)

 

まずは「なりたい自分」と「求められる自分」の話からしましょう。

アイドルが常にコンセプトを抱えているのと同じようにわたし自身も「こうありたい」というコンセプトがあって。その理想と現実の狭間にいるのが"今"のわたしです。

 

新しい曲をだすたびにファンが増えるのと同時に「この前のコンセプトのほうがよかった」、「デビューしてから時が経って変わってしまったんだね」という言葉を投げてかけられて。去っていくファンがいて。これって言葉を置き換えるだけで日常においてもありふれたことだなって感じます。その行為は誰にも咎められるものではないけれど、言われた側にはなんだか堪えるものがありますよね。

 

そうやって自分を取り巻く人々が求める役割を推し量って、役割をこなしていくなかで、ふと「あれ"わたし"って何だろう。何がしたいのだろう」と感じて自分の軸が何なのかわからなくなって思考停止してしまいます。それは自体は誰しもあることです。けれども世界はそれでも回っているので。あっという間に取り残されてしまったような気がして正直怖いです。

 

そんな思考停止から抜け出したいのなら、いつぞやのブログ記事に書いたように自分の「こうしたい」を上手に作らないといけないですね。そして周囲が求めるものとの結節点を見つけていかなくてはいけません。けれども上手に作り上げた「こうしたい」が受け入れられるかどうかはまた別問題です。変わっても変わらなくても"わたし"は"わたし"でしかないのに難しいものです。この「変わる・変わらない」の是非は『「いちご白書」をもう一度』の時代でも言ってるので、永遠の命題なのかもしれませんね。(また古い歌を…)

 

僕は無精ひげと髪をのばして、学生集会へも時々出かけた。

就職が決まって髪を切ってきたとき、もう若くないさと君に言い訳したね。

『「いちご白書」をもう一度』

 

あんまり学生運動とかの映像を見たことなかったりしたらイメージしにくいですかね。まぁ、親が年寄りなので耳学問として知っているだけでわたしもその時代を生きてないので何とも言えませんが。笑

(完全なる余談ですが米澤穂信の「氷菓」、初野晴の「初恋ソムリエ」はこのあたりの時代がイメージできた状態で読むとよりおもしろいです)

 

ちなみにこちらは曲作りに関わった人自身も"君"と"僕"を対人と捉えるだけでなく、対自我としても捉えられると言っていた曲のとある部分です。この曲、対自我として歌詞を読むとなんか対人とまた違ってしんどいです。そしてなんで鬱屈とした気分なときほど鬱々とした曲って響くんですかね。笑(「大丈夫!なるようになるさ!」系と「もう世界しんどい」系の曲を繰り返し聴いていて情緒不安定かよとツッコミたくなるこじまのプレイリスト)

 

「見慣れない」っていうんだね。君が好きだった僕に変わった僕を。

「僕じゃない」っていうんだね。君がよく知っていた昔の僕を。

「違う」って何が違うのさ。僕はもう何も見えないよ。

『FAKE LOVE』

 

喜んでもらいたくて、もっと好かれたくて自分を変えてみたけれどそれを拒否されてしまうとショックで立ち直れないですね。たとえ周りから何を言われたとしても、人は毅然とした態度を貫けるのでしょうか。周囲とのズレが辛くてその"自分"を手放したところでそれでよかったのかと悩んで。

 

まわりを頼ったとしても結局、自分でどうにか折り合いをつけるしかないですね。

誰しもやじろべえのようにゆらゆらと倒れるわけでもなく、「なりたい自分」と「求められる自分」の狭間においてどっちつかずでバランスを取っているのでしょうね。

 

なんだか「なりたい自分」と「求められる自分」の話だけで文字数がえらいことになったのでもう一つの『舞台はひとりじゃ完成しない』についてはまたいつか書こうと思います。

 

それでは!

 

 

やさしい言葉で相手を征服できないような人間は、きつい言葉でも征服できない。

こんにちは。こじまです。

 

暇人のような暇人でないような生活を送る今日この頃です。

そんなこじまの最近の楽しみのひとつは防弾少年団(BTS)の活動を追っかけることです。

 

こちらが防弾少年団(BTS)です。(1番新しいコンセプトフォトでそれなりに個人の特徴がわかるやつでなおかつ、それなりにかっこいい写真が上下ジーンズのこの写真かなという結論に至りました)

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防弾少年団(BTS)には思うことがたくさんあります。7人それぞれに『かくありたい』と感じるところがあり、彼らの裏にいる多くの人たちにも感銘を受けることも多いです。歌詞や映像からいろんなことを考えます。

 

まぁ、昔は彼らに微塵も興味なかったです!むしろアイドルとか苦手だったんですけどね!こんなにハマるなんて正直びっくりです!人間変わるものです!笑(しかしながら"ハマった"といっても親には「それはただのファンの目線やないよ。研究対象への目線や」と言われるほどハマり方がズレているそうです。いや、純粋にかっこいいとも思ってますよ。はい…)

 

そんななか彼らの最新アルバムがBillboard 200やHOT100にランクインしました。それも相まっていろんな記事が出ているので「これ読もう」とほいほいしていたら、こんなことになりました。スクリーンショット撮るまではもうすこし多かったです。笑

「レビュー記事が人種差別だ!」みたいなこともあったりで、いろんな意味で盛り上がっています。(あ、1枚目のZiggoドームはまた別件だ…アムステルダム公演に行きたくて開いたやつだ…)

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暇をみつけては彼らに関する記事やインタビューを読んだり観たりしています。そのなかで特に紹介したい動画あります。とりあえずぽちぽちっと貼り付けますね。8分程度なので気楽に観れます。


BTS I Backstage at the AMAs

 

昨年アメリカであったAmerican Music Awardsにおけるインタビューです。大丈夫です。こじまでもある程度聞き取れます!笑

(上の動画に字幕がないので親切に日本語にしてくれている方の動画をば:https://youtu.be/JETqtrZrQW0)

 

まずこのインタビュアーのZachがきちんと彼らにについて調べてきていることにこの人のすごさを感じました。これまでの曲の内容やコンセプトについてだけでなく、他媒体ではあまり触れていなかったUNICEFでの活動も知ってました。(インタビューに答えている側もそれにびっくりするくらいなので、これまでのインタビューでは同時にしょうもない質問もいっぱいされてきたんだろうなと思いました)

 

動画を見ればわかると思うのですが、ここのグループにはとてつもなく知的に英語を話せるメンバーが1人います。(こじま基準です)

終始その"英語できる君"が話しているのをみて先日アートイベントで聞いた「アートに関わる人間で英語ができない人はほとんどいない。英語ができないと渡り歩けない」という言葉をひとり思い出していました。やっぱり何をするにも英語が使えると"できること"の幅は広がるものなのですね。

 

そしてこの動画の後半でZachが『このなかで英語ペラペラになりたい人はいますか?』という質問をします。そこでメンバーが口々にいろんなことを叫んで(?)、最終的に『メンバー全員頑張ってます』と英語できる君がまとめます。

 

その直後にZachは『僕はこのまま韓国語で歌詞を書き続けてほしいと思います』と口にします。わたしは「え?今の流れでそんなこと言うの?」と本当にびっくりしました。「英語ができなくてはいけない」という価値観をもっている(と思われる)彼らに対してZachはすごいことを言ってのけていると感じました。

 

そしてこう続けます。『君たちが音楽を通してしていることは世界の人々を繋いで、どこかの誰かにとっての辛いことは、ここにいる誰かもまた感じているということを気づかせてくれています。それはとても大切なことです』(ざっくり)

 

言葉が違うからこそ表現できる、伝わるものがあるというのはこういうことなのかなと思いました。ただ話はそう簡単にはいかないんですよね。それは今年のBillboard Music Awardsで彼らがパフォーマンスした曲の韓国語歌詞の一部が変わっていることに表されているのかなと。そのおはなしをするとまた長いので今度にします。

 

ちなみにBillboard Music AwardsでもZachがインタビューしています。それがこちら。これもまたいいインタビューしてるんですよ…!本当にいろんな人に観てもらいたいです。(こっちの動画は日本語字幕をつけてくれている人がいなかったので頑張ってください。大丈夫、こじまでもある程度聞き取れます[2回目])


BTS I Billboard Music Awards

 

今回のアルバムタイトルや曲の歌詞にちなんで『愛の定義とは』という質問に対して英語できる君が『英語だと”Love”と”Live”って語呂が似ていますよね。韓国語だと”Love”は"사랑" (サラng)、”People”が"사람"(サラm)なんです。似ていますよね。”Love”は”Live”であって、つまりはそういうことだと僕は思います』(またざっくり)

 

 英語できる君、すごくうまい返しだなと。

 

それでは!

 

 

魔法のコトバ

こんにちは。こじまです。

 

最近「ブログ読んでるよ」と言っていただけることが何度かありました。

独り言をわんわん言っているブログですが、読んでいただけて素直に嬉しいです。ありがとうございます。これからも壁打ちを続けようと思います。

 

そんななか最近あまりブログが更新できていないのですが、それには実は原因がありまして。

 

それはおはなしのチェック、いわゆる読み直しが全然終わっていないからなのです。

おはなしのストックはざっと20くらいあり、ほとんど書き上がっているものも結構あります。ですが『書き上げてからの読み直しをしていないものは絶対にあげない』というルールを作っているのでストックたちは更新していません。(その読み直しをする順番は完全に気分なので物事の時系列と更新日時はぐちゃぐちゃです。気にしないでください。壁打ちですから)

 

だいたい書き始めはうおーっ!と感情に任せる癖があるので、文法や話の構成がめちゃめちゃということも往々にしてあります。その修正という意味合いもあるのですが、どちらかというと自分の言葉選びを見直して「誤解をあたえる可能性は最小限か」など内容自体のチェックに重点を置いています。そして読み直しはそれこそじっくりコトコト煮込むようにある程度の時間をかけます。特に時間をあけてからすると落ち着いて自分の文章が読めるのです。

なかには読み直した結果、あまりにも吠えているので御蔵入りがほぼ確定しているものもあります。笑

 

実生活のなかでの優先順位は低くはなるのですが、この読み直しというのは壁打ちするなかでとても重要視している作業です。それは言葉のもつ力は計り知れないと考えているからです。 

 

わたしが「言葉って…!」と感じたのは小学5年生まで遡ります。

当時通っていた小学校では5年生のときの人権週間にビデオを観て作文を書くという時間がありました。そこで「父さんが泣いた日」という作品を観ました。ざっくりと内容を説明すると『家族ぐるみで仲が良かった2人の男の子がある日突然、片方をいじめだし、家族同士の付き合いもなくなってしまった』というものです。

 

そのビデオのなかで印象的なセリフに

「ハンバーグの息子はハンバーグや!」というものがあります。

これはいじめる側になった男の子Aくんが洋食屋の息子である、もう一人の男の子Bくんに泥だんごをなすりつけながら言い放った言葉でした。(記憶ちがいで細部が違ってたらごめんなさい)

 

作品の外にいる側からすると「なんのこっちゃ」というようなセリフでした。ですが、作品のなかでその言葉を言われたBくんはとてつもないショックを受けていて、ふさぎこむほどでした。

 

そのシーンを見て、わたしはふと傾倒していた『xxxHolic』という漫画のとある話を思い出します。それはとてつもなくそっくりな双子の姉妹のおはなしです。全く同じ素質を持っているのに妹は何をしても要領がいいけど、姉は何をするにも失敗ばかり。姉はそんな自分を変えたくて試行錯誤するのですが、どうやってもうまくいかない。原因は妹が口癖のように言う「お姉ちゃんは何をやってもダメなんだから」という言葉と姉自身が自分に対して「わたしは何をやってもできないんだ。妹のようにはなれないのだ」という言葉によって「自分は絶対に何も成功できない」という暗示をかけているせいだというものでした。そして姉は「こんな自分はもういやだ。自分は変わりたい」ときちんと言葉にすることで何もできなかった自分を克服しました。(この漫画オカルトちっくなのですが人生について言い得て妙な部分が多く、こじまの人生バイブルのなかの一冊です。なんちゅうもんを小学生から読んでるのかとか言わないで。かかりつけの小児科がマガジン派だったんです…)

 

言葉とはなんという力を持っているのだと思いました。言葉は人を縛る鎖にもなるし、その一方で誰かの背中を押す優しいものでもある。自分には何気ないひとことが相手に与える影響を、その言葉を使った本人が一番わからない。だからこそ言葉を使うときは考えて使わないといけない。(たしかそんなことを当時の作文に書きました。大筋は間違ってないはずです)

 

それでもって今も「言葉」は大切にしないとと思って日々生活しています。

だからこそ、たかが壁打ちブログといえども自分の書いた文章を蔑ろにはできません。議論の種になればいいですけど、喧嘩の種にはなりたくないので…

ですが書いた言葉と違って、口にした言葉は言ってしまったあと取り返しつかないので、いつも難しいなと思います。

 

まだまだ「言葉」についてお話ししたいところですが、またえらい文字数になってきそうなのでまた気が向いたときにそのおはなしを更新したいと思います。

 

 

 

 それでは!

 

 

 

ん?ところで、なんで10年ほども前のことをこんなに覚えてるかって?

それはこの作文が知らないうちにコンクールに出されていてひっそりと入選し、人生初めての表彰状が突然届き、何も知らされないまま全校集会で壇上に上がらされたというエピソード付きだからです。笑

惜しくも市の作品集に本文は載りませんでしたが、自分の何気なく思ったことを綴った作文が評価されたことと副賞としてカラーペンセットが貰えたことが嬉しくて…笑

 

 

 

 

 

嵐を呼ぶこじま

こんにちは。こじまです。

 

なんだか「あれー、気がつけば前にも同じような状況に」と感じることがありせんか。

 

わたしの場合、所属組織が何かしらの危機を迎えることが多いです。

どうやらこじまは嵐を呼び込むようです。そんな星の下に生まれてしまったようです。笑

 

中高の部活動ではごっそりと上の代がいなくなってしまい4年間部長をすることになりました。(こじまは中高一貫校)

アルバイト先でも代替わりのタイミングで人手不足になったり。

今もまた大学でもそんなかんじです。

 

少しづつ積もっていった不良債権がわたしが担ぐタイミングで処理しきれないレベルに近づいて破産間近状態にというかんじです。

正直、「どうしてわたしばかり」と思うこともあります。

けれども「わたしなら嵐を乗り切れるから」という謎の運命でまわってくるのかなと思うことにしました。

 

先輩も同期もいないなかでわたしと後輩あわせて5人くらいしかいない部活はとてつもなくしんどかったです。けれども同じ練習場所を使っていた他校の先輩や先生に良くしてもらったり、他校の同期ととても仲良くなりました。

いまでもその同期はなかよしです。今はみんな離れたところに住んでいてなかなか会えないですが、ふと「会いたいな」と思える友達がいることはすごく貴重なことだなと。

 

そして後輩たちが大学にはいっても競技を続けたことがわたしは何よりもうれしかったです。それはわたしが直接関係していることではないかもしれないけれど、後輩たちがあのときの部活動が「いやな思い出」だけでなかったことが、とてもとてもうれしかったです。

 

アルバイトでも常連さんやマスターに「顔をみると元気がでる」と言ってもらえてとてもうれしいです。

 

嵐ばかり呼び寄せてしまうけれども、頑張ろうと思います。

そのさきには何かいいことがあるという経験をしてみると、ついしんどくても頑張ってみようかなと思ってしまいます。笑

 

今ふと思ったのですが、わたしあちこちで「頑張る」って言ってますね。

カウントしたらすごそうです。

 

なんだか『努力』って麻薬に近い薬みたいです。笑

いつぞやに流行ったコラ画像が作れちゃいそうです。(使う→効果が切れる→もっと欲しい!のあの図です)

だからついつい他人にも軽く勧めがちです。

そして人によって致死量も違うのに「もっと!努力しよ!」と言ってしまいます。気をつけないと。

 

『努力』は用法・用量を守りましょう!笑

 

それでは!

何をさがして三千里

こんにちは。こじまです。

 

どったんばったんとしていたら、あっという間に時間が過ぎている毎日です。おちおち自分の人生について考えてもいられません。本当にあまりにも急展開なことばかりで鼻血がでるほどです。(疲れるとなんでだか鼻先ちょっと触るだけで、だばだば出血するんですよね…)

 

毎日が一輪車に乗りながらジャグリングして綱渡りして状態なのですが、1つのことで鬱々しなくて済むのである意味いいかなと肯定的にいこうと思います。

 

自分でも忙しくするのが大好きだなとつくづく思います。はたまた"忙しい"を引き寄せているのか…笑

 

そしてふと気がついたのです。

遠くをみればしんどいことでも意外とやっていけるものがほとんどだと。

 

スポーツでも「遠くをみること」はかなり大事なポイントだったと気づき、世の中ってよくできているなーと1人で感動しました。(例えばスキーやスノーボードでも目の前だけ見ているとものすごいブサイクなフォームになります。かっこよくない上にうまくターンできません)

 

今、自分の目の前をみると"いやなこと"や"辛いこと"がごろごろと転がっています。しかもその道には"いばら"がチラチラと見えていて、通れば血まみれになることも明白です。

 

「それを抜けた先には何かきっと"いいこと"が待っている」と思えればその道を進めます。しかし、その"いいこと"はどのタイミングで"いいこと"だと気がつくのかはわかりません。大抵はだいぶ後になってから「あー、あのとき踏ん張ってよかったなー」と気がつくものです。

 

実際には痛いものは痛くて、辛いものは辛いので挫折することも多々あります。けれどもそれも進んでみないことにはわからないです。

 

「痛いかもしれない」、「辛いかもしれない」という憶測を立てて諦めては何も成し得ることはできない。経験せずに語ることはできない。

 

わたしの持論です。笑

 

何かを成し得たいのなら自分の足で進み、ときには足掻くことが必要だと思います。それができないことは結局は"その程度"で終わるのでしょうね。

 

「無理だ!合わない!」というのもやってみないとわからないです。笑

そう思ってやめることは間違いではないと思います。得手不得手の問題です。(ただそれが自分以外の人や集団が関わっている場合はタイミングやらなんやらを見計らわないと大変なことになります)

 

それに遠くにある"いいこと"は何かわからなければ作ってしまえばいいのです。それは自分の理想とか身につく力や経験みたいな抽象的なものもアリですが、モノだと具体的でわかりやすくていいなと思います。

 

わたしはいつも山場を越えると頭の中の『ごほうび&テンション上げリスト』から欲しいものを選んで買っています。それにテンションが下がった時にも活用できるので便利です。このリストから最近わたしはBluetoothスピーカー、HDMI変換プラグ、DVDドライブ、CD8枚、Blu-ray2枚、本3冊、写真集を買いました。

 

誰がどうみても買いすぎです。相当疲れてたんですね。

おかげでこじま財政は赤字です!火の車です!

それに整理しろとまた言われてしまいます!うわーん!笑

 

こじま財政はさておき目の前の辛さを安易に回避するよりは遠くの何かに向かうことがいずれどこかで報われると信じてわたしは今日も頑張ろうと思います。遠くをみるためには自分の足元もしっかり見なくてはいけませんね。

 

最後にわたしが迷ったときに聞く曲とその歌詞の一部を置いておわります。アイドルの曲ですがいいこと言ってるなと。ここに書いた歌詞はわたしが趣味でちょこちょこ訳したものなのでニュアンスが違うかもです。(上の動画はハングルしか書いてないし、踊ってます。全部日本語で訳してくれてる人のなかで好みの訳の人の動画もついでに)

 

[FULL HD] LOST - BTS COUNTDOWN - YouTube

 

日本語字幕 【 Lost 】 BTS 防弾少年団 - YouTube

 

信じられないかもしれないけれど、それでも信じているんだ。道を見失うことはその道を見つけ出す方法だって。

どこかへ向かうアリを見たことがあるかい。

一度で道を見つけられる方法なんてない。数え切れないほどぶつかって、這いつくばって食べ物を探して何日も彷徨う。

きっとわかるよ。役に立つはずさ、この挫折も。

僕はそう信じている。僕らはちゃんと進んでいる。

約束のない希望よ、さよならだ。

少し時間がかかろうとも自分の足で歩くよ。

この道がきっと僕の道だから。遠回りだとしてもいつかは届くはずだから。

 

 

それでは!

 

 

オールド・シネマ・パラダイス

こんにちは。こじまです。

 

こじまは映像鑑賞が趣味の一つです。映画にドラマ、アニメにミュージックビデオ。演劇やコンサートなど生の魅力も好きですが、それとはまた違った映像作品は何度も観る魅力や視点が固定される魅力が好きです。

 

映像を見ながら『このシーンはどういう意味だろう』と考えることが楽しい趣味です。『なぜ今、そのセリフなのか』、『なぜ今、そのアングルなのか』、『なぜその描写なのか』、『主題はなんなのか』など考えては喧々諤々と考察を話すのが醍醐味です。

 

ちなみにこじま家ではわたしが圧倒的テレビ占有率を誇っています。こじま家にテレビは一つしかなく、そのうえわたしは作業するとき以外はリビングでほぼ生活するという特性持ち故にです。けれども意外と感性が近いおかげでチャンネル争いはあまり起きないので平和です。最近ではテレビでYouTubeもみれて、またWOWOWという新しいおもちゃを手に入れたので毎日が映像三昧です。古い映画から新作映画にオリジナルドラマ、はたまたコンサートまで観れて最高です。(みんなテレビが好きですし、ノリノリで「ほら!これ見て!おもしろそうでしょ!」みたいな感じでいつも見せています。付き合ってくれる家族ありがとう)

 

昔から観る作品がすこし世代とズレていることが多いわたしが言うのもあれですがロードショー以外の作品もすごくおもしろいので試しにテレビでみたり、借りたりして観てもらいたいなぁと思います。古い映画やドラマは最近の作品でオマージュに使われていることもあったりで、知識があれば作品がグッとおもしろくなることが多いです。(あとはフィルムの独特感だったり、CGのはしりみたいなのの雰囲気がおすすめです。そしてできれば映画館で観たいです。二番館、三番館があった親の時代うらやましい)

 

そこで「これ!おもしろい!観てみて!」を叫びたい数ある作品のなかから、今回はわたしが生まれる以前の「古い映画」を少し紹介していきたいと思います。(参考動画はいいのがあんまり見つからなかったので、興味があればぜひ映画本編を観てください) 

 

大脱走


「大脱走マーチ The Great Escape March」

誰もがこの映画のテーマソングを絶対どこかで聞いたことあるはずです。第二次世界大戦中のドイツ軍捕虜収容所から脱走を試みる物語です。明るい雰囲気のわりにかなりハラハラする作品です。脱走するメンバーを応援したくなりますが、本当に最後のシーンでわたしはドイツ軍のラムゼイ大佐を応援したくなりました。ラムゼイ大佐は貴族的な考え方だったんです。悪い人のようで悪い部分だけでなかったのがわかって「た、大佐ーっ!」となりました。ちなみに脱走組の何人かは『荒野の七人』(七人の侍の洋画リメイク)にもでてます。まぁ、有名な話ですよね。

 

『夕陽のガンマン』


For a Few Dollars More(夕陽のガンマン)-Ennio Morricone

今は映画監督としても名高いクリント・イーストウッドの代表作の一つです。ザ・西部劇です。そう、マカロニ・ウエスタン。(マカロニ・ウエスタンて死語ですかね)これを観ると『バック・トゥ・ザ・フューチャー3』がもっとおもしろくなります。なんなら『荒野の用心棒』を観ていてもおもしろいと思います。もはや『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でのオマージュの印象が強すぎて作品自体の記憶が薄れている感も否めません。けど、おもしろかったと思ったことは覚えてます。笑(というかたくさんの作品を観たり、ロックバンドがわかるとバック・トゥ・ザ・フューチャー』って味が変わってくる作品で飽きないので、ぜひそっちも観てください…深海のお魚パーティー…カルバンクライン…)

 

『生きる』


生きる(プレビュー)

いわずとしれた黒澤明作品のひとつです。『七人の侍』や『隠し砦の三悪人』みたいな派手さはないです。三船敏郎もでてないです。快活な作品ではないですが、志村喬の演技と映画の白黒が合っていてすごく好きな作品です。これは文字で説明するのが難しいのですが、最後のブランコをこいでいるシーンと子供達が公園で遊んでいるシーンは印象的です。こじま、すぐ映画とか観て泣くのであてにならないんですが泣きました。この作品のなかで描かれる「お役所仕事の難点」は今でもあんまり変わってないのかなと思ったりも。50年かかっても劇的には物事変わらないけど、少しずつは良い方向に変化していればいいなと思います。

 

たった3作品でもこんな文字量になるとは… 

本当はヒッチコック作品とかジェームズ・スチュアートとかオードリー・ヘプバーンとかジェームズ・ディーンとかについても語りたいんですがまた今度にします。

 

あぁ、ほかにもアニメとかいろんな映像作品についても語りたい!

(このまえバイト先の人にかくかくしかじか映像について話したら「映像フェチ」の称号を得ました)

 

それでは!