こじまのかべ打ち

こじまが話したいことを書き書きしてます。

2018年こじまの旅

こんにちは。こじまです。

そして、あけましておめでとうございます。

 

企画とか卒論とかしていたら、2018年が気づいていたら終わっています。

こじまのなかでは今が2018年12月ですよっ!

そして終わらない卒論!エンドレス卒論!!

 

もう潔く2019年になったことは百歩、いや五百歩譲って認めますが、まだまだやることも多くて忙しないです。(とは言いながらも1週間ほど雪山で現実逃避しながら過ごしていたんですけどね。へへへっ)

 

2019年を迎えるにあたって、少しばかり2018年を振り返ってみたいと思います。

わたしにとっての2018年は「あー。こじまは『ノリと運と縁』で生きているな」と改めて実感した1年でした。

 

2018年1月はちょうどこのブログを始めたくらいですね。

 そのころから春先くらいまでは「就活しないと〜(嫌々)」という気分でいっぱいでした。

仕事はしたいし働くのも好きだけど、じゃあどんな仕事がしたいかと言われれば思いつかないというのをずーっとグルグルと考えていました。なによりも就活の服装も耐えられないですし。笑

 

そしてES書いたり、ぽこぽこと面接を受ける日々のなかで母によく言われていた「いつか自分の性別や年齢が不利になることがあるから覚悟しないと」という意味が少しわかってきました。(例えば面接官はびっくりするくらい男の人ばっかりですし)

 

6月あたまくらいに今行きたいなと思う企業に落ちたらとりあえず大学院という選択肢にしてみることにしました。半ば「就活耐えられねぇ!」という感じで、ほぼ思いつきといっても過言ではないです。

こじま、飽き性なんですよ。ルーティーン化した作業はあまり好きではなくて。ルーティーンを改良したり、たくさんの欠片を集めてたり、まだ名前のついていないものを作るようなことが好きで。そういうことを仕事にするなら大学院の肩書きがあっても採用されるし問題ないなということも考えました。(大学院に行こうと思うと話した時「左様ですか。ま、自分の思うようにすれば」という両親には本当に足を向けて寝れません。笑)

 

2018年は自分の進路決定と組織のバタバタが大半でしたね。このダブルパンチとアルバイトで死にそうでした。

そんな飽き性なこじまが2018年の間中、組織の面倒をみていたのは本当に自分偉いなって思ってます。笑

 

「こっちのほうがいいかな」というノリで進路方針を決め、専攻も変えた大学院入試も運良く滑り込みました。組織のバタバタもなんとかわたしのできることはほぼ終わりに近づきました。

ここまでノリも運もありましたが、なにより縁でした。

大学院に行こうと思ったのも、元をたどれば浪人していなければ存在しなかった選択肢です。組織のバタバタも人の縁でたくさん助けてもらいました。

連絡しなくなって5年ほど経っていた友達から結婚式の二次会に呼んでもらったり。雪山で会った人が東京に行くんですという話から友達になったり。

 

人は変わっていくものですが、縁ってすごいなーと思いました。(語彙力がっ。笑)

 

さすがに違う大学で先輩してた前期課程(中学)の同級生が、来年には研究科は違うけど同じ大学院のわたしの後輩になることがわかったときには笑いました。いや、これややこしい。

 

あなどれないです「袖振り合うも多生の縁」笑

人生出来すぎでは…

 

でもなによりも、ぽやーっと友達に「わたし、ノリと運で生きてるわー」と何気なく話した時に「でも、そのノリと運で生きていくための努力をたくさんしてるよー」って返されたときは思わず、うるっとときてしまいました。

 

まだまだ2018年には思うこともあるので、時折思い出してみようと思います。

 

さてさて、人生楽しい記録を更新した2018年も人それぞれ思うことや悩みがありましたが、どれだけ時が流れても、他人の力になることはできるけど、その悩みの根っこを解決することができるのは自分のことだけなのです。

わがままで欲張りな自分と仲良くしながら、2019年もこじまはこじまとして生きていこうと思います。

 

それでは!

2019年もよろしくお願いしまーす!

 

陽気なバイトがお店を回す

こんにちは。こじまです。

 

骨の折れる作業をこなしていたら、本当に骨が折れました。笑

せっかく今月からはアルバイトに2つ復帰したので収入が増えると思ったのにしょんぼりです。

みなさん、信号は余裕を持って渡りましょう。信号が点滅して慌てるようなタイミングはいくないです。

 

前にちょろっと書いたかもしれませんが、こじまはアルバイトを掛け持ちしています。

なんてったって毎月の諸々経費と遊ぶことや趣味への投資がやめられない。

しかも「これは楽しい匂いがするっ!」となるとお金に糸目をつけないで使うので。笑

あとは来年からは一人暮らしを始めるうえに世間的にみたら高等遊民なので少しでも貯金もしないと…(すでに火の車すぎてどうしましょう)

 

今日はそのうちの1つである、老舗喫茶店についてのおはなしです。

このアルバイトは安直にはじめました。そう、安直。

 

「収入が足りない…」⇒「家の近くでアルバイトしよう」⇒「接客業したことないな」⇒「コーヒー好きだな」⇒「喫茶店だ!」

という具合でふわっと応募したアルバイト先です。

そしてこのバイト先がおもしろいのです。週1くらいしか入らないつもりが気づけば週3、4くらいで働いているくらいです。シフトに入っていなくても遊びにもいくほどです。(まずなによりもタウンワークのアプリで見つけて面接の日時を決めた時にお店のマスターから空メールが返ってきた時点でおもしろい)

 

1976年からある喫茶店はレトロが売りになってきていて伝票は手書きですし、レジにいたっては少し形は違いますがコレです。

21号レジスター©NCR

「わぁー!レトロー!」と無邪気にお客さんは言いますが、こじまは必死です。

うちのレジくん、足し算しかできないのです。打ってしまったら引けないのです。

なんだか人生みたいですが、つまりは打ち直しもできないし、おつりの計算も自力です。

なので上手に500円や50円が返ってくるようにお金をだされると一瞬のうちにすごい暗算してます。ボケなくていいですね。(この前レジくんが勝手に50円を刻む病にかかったのでマスターと一緒に頑張って直しました)

 

そしてそしてメニューの数がめためた多いです。

コーヒー、紅茶なんかの飲み物以外にもサンドイッチ系もありますし、コーヒーゼリーやアイスクリーム、ワッフルなど甘いものも豊富。

さらには焦がし塩バターキャラメルうんにゃらかんにゃらやトリプルメープルうんにゃらかんにゃらをはじめとした今時のものも。しかも豆も売っている。

 

うちの店、絶対スタバに負けてない。笑

 

忙しいときは本当に忙しいお店です。

いっぺんにお客さんがくるとてんやわんやです。

「マスター!ハムサンドじゃなくてミックス!ミックスサンドです!」

「マスター!あれ、これどこテーブルのピザですか!?」

「マスター!これマンデリンとサントスどっちですか!?」(淹れてしまうとわからない)

こういう感じにカウンターごしにわわーっとなったり。

 

こじま(一応フード系だったり冷たい飲み物は一通り作れる)

(やっばぁ…バター抜きっていわれて勢いあまってマヨネーズまで抜いてしまったたまごサンド出してしまったぁ…)

(クランベリーソーダの仕上げにストロベリーシロップ使ってしまったぁ…) 

というミスもしてしまいますが、ありがたいことにバイトとしてなんだかんだで重宝されています。笑

 

毎週フリーのオルガンライブもあるし、2階でライブもあるし賑やかでいいお店です。

常連さんもみんないい人だし、一見さんもいい人。

 

うちの喫茶店のおもしろいところや良いところを挙げるとキリがないのでここら辺で切り上げます。あと少ししかこのお店で働けないのが本当、残念です。

 

その前にはやく骨折を治そうと思います。笑

 

それでは!

 

 

 

 

我がために努力はする

こんにちは。こじまです。

 

食器を片付けようとしたら手が滑って、素足の親指にフォークが降ってきました。しかもつき刺す側です。悶えました。

 

そんなことはさておき。

このブログを読んでいる方はよくご存知かもしれないですが、こじまはよく「頑張る」とか"努力"を口にするのです。

しんどいとか愚痴りながらもいろいろしていて、きっとわたしの周りには「そんなにやらなくても、いいんじゃない」 と呆れている人も多いと思います。笑

 

正直、今もわたしがそこまでやる必要のない"努力"をしています。それよりも立場的には卒論に時間を割かないといけないです。

今やっていることは『新年度が始まって走り出したものは止められない』というある意味、わたしとは関係ないところでの事情で動いているもので、学生の身分のこじまは突っぱねてもいいんだと思います。一応、慣習では引退した身なので。

 

けれども関わってしまうのは

『「投げ出した」という感覚になりたくない』というエゴが8割です。

残りは妙な責任感と使命感…かな。笑

 

例えるなら『3月のライオン』の主人公が中学生でプロ棋士になり、はじめは高校に進学しなかったけれども1年遅れで高校に入った理由を聞かれたときの返答に近いです。

31©羽海野チカ

あとから辛くなると「投げ出した」記憶に縋りたくなるんですよ。

『「投げ出す」ことをしても別に死ぬわけでもないし、なんとかなってるし。なんとなく世界は回っているし。』みたいな。笑

 

一度、「投げ出す」とそれをするハードルも下がります。

だから段々「投げ出す」ことに慣れていき、それをしていることに気がつかなくなり、「投げ出す」ことは別の何かに都合よく切り替わっていくものだと。

 

それに「やらない理由」を探して正当化させる論理を構築する時間を費やすよりも、やったほうが早いし得るものもあると思うのです。いろいろなことに。(それに、自分の意見を正当化しようと息巻いて論理を組み立てていくと、大概すぐ破綻するんですよ。)

 

わたしは『"努力"は必ず報われる』とは思わないです。

ですが、『"努力"は必ず活きてくる』と考えます。

 

何事も時期的な区切りや物事の結末まで見届けて、はじめてそこに至るまでの良かったことも悪かったことも自分の経験になり、人生の選択肢のカードの1枚になるのです。

やっぱり人生の手札はロイヤルストレートフラッシュにしたいじゃないですか!笑

たくさんカードを引けば、手札が揃う確率も上がります。それにポーカーを何度もすれば"賢く"カードを切る方法もわかってくるじゃないですか!(ポーカーあんまりしたことないけど!)

 

今日の"努力"が日の目をみるのは明日かもしれないし、10年後かもしれない。

もしかしたら死ぬまで結実しないかもしれないけれども進むしかないです。

 

わたしはいつか死ぬその時まで、飛べないなら走って、走れないなら歩いて、歩けなくても這っていくのです!

なぜならわたしがそうしたいから! 振り返ってみれば『全部自分のしたいことだった』と思いたいから!

 

今やっていることは区切りが来たらすっぱりやめます。2018年もしくは卒業という区切りで一度終わりにして、次の"引き出し"に新しい"努力"を詰めていこうと思います。

もう向こう5年くらいはこんな経験したくないです。ははっ。笑

 

 

今の状況下で卒論もちゃんと書き上げて卒業したら誰も文句ないですよね。

今していることから学ぶことは『10の労力で100の仕事をする』ですかね。笑

 

ただ、わたしも人間なのでたまには矛盾した愚痴もどうか温かい目で見守ってください。笑(人手も足りないので、あちこち至らないとこは許して…!)

  

それでは!

 

やさしさを分かち合えたのなら

こんにちは。こじまです。

 

先日の「まな板の鯉」はなんとか「水を得た魚」になりました。

その水が清水なのか泥水なのかはまだわかりませんが。笑

とにもかくにも来年度の社会的身分をゲットです。よかった。よかった。

 

ひと段落ついて旅にでも出たい気分ですが、片付いていない案件があるのでそっちにスイッチを入れないといけません。

もうこの案件は組織の今後を考えると、どうせ押し出されていなくなるわたしの立場からあれやこれやするのはよくないと思うのですが「首をつっこんでくれ」と頼まれたし、義理もあるのでやります。(ゆってもちゃっかり旅を計画しているのですが。何を言われようが意地でも行ってやるぞー!ここのスケジュールは譲らないぞーー!!そこまで自分を犠牲にする必要性はナッシングです!!!だって対価が釣り合わないもん!!!!)

 

いやぁ、こう考えるとここまでよく曲芸じみた生活送っているなと思いました。

2018年上半期はアルバイトをし、来年の社会的身分を手に入れるための諸々をし、学業にも向き合い、そして『たまたま運悪くこれまでの組織の負債の処理、それから破産手続きやらなんやらの代になる』どうみても貧乏くじを引いて。

サーカスでいうなら一輪車に乗りながら綱渡りをしてジャグリングして、火を吹いてぐらいですよ。(知らんけど笑)

自分で蒔いた種の回収でしかなく賞賛を求めるためにやったことでもないのですが、もう自分で自分のことをわしゃわしゃと撫でててあげたいです。(わたし、がんばってるよー。わたし偉いよー)

 

ここで貧乏くじを引いた諸々に関しては自分の責任も少なからずあるので、そこを放棄することはこじまのポリシーに反するからやっています。それに関しては他人に自分と同じように「投げ出さないこと」を要求することはしないようにしています。ですが、やっぱりわたしも人間なのでカチンときちゃう時はありますよね。

 

わたしは戦略的撤退ではなく、逃げ出すことを選択するとツケが後で回ってくると考えるので、正直どうしても「自分で決めたこと」を簡単に投げ出せる心理がわかりません。

そういう風に「自分で決めたこと」の責任の大半を他人になすり付け、散々に人のことをなじったり、文句を言い、自分のことを棚にあげて言うこと成すことはすべて自身にブーメランで返って、ちゃんちゃらおかしな論理になっているのに。そしてそれが自分の無能さや愚かさを露呈していることにどうして気がつかないのでしょうか。

 

誰しもレストランへ行けば、食べたいものを注文すればいいと思います。

そのときはお腹が空いていてたくさん食べれると思っていても、それは思い違いで食事の最中にお腹がいっぱいになることもあります。突然、お腹が痛くなることもあります。そんな理由で自分が頼んだ料理のすべてを食べきれないことは仕方のないことです。それは誰にも責める資格はありません。

ですが思っていた味と違うからというような理由で食い散らかした料理の代金を踏み倒そうとしたり、喰い逃げを企て店で騒ぎ出すことは違います。

それは料理を作った人や給仕をしている人、そのお店にいるほかの人の気持ちを踏みにじることです。

そして一悶着の後「お代は結構です」という言葉を引き出して、店をでた人はわたしには到底理解できない満足感でさぞいっぱいでしょう。きっとその後、食い散らかされた料理を片付ける人やそれを見る人の気持ちなんて想像もつかないですよね。

 

 別に料理を残すことはいいんです。

わたしは注文したものは完食しなければという価値観ですが、それ以外の価値観もたくさんあることも重々承知しています。

 

ただ料理を残して立ち去りたいときに自分の行動・言動でどういったことが起こるのかを考えられる想像力と、いかに料理がおいしくなかったことを責めずに伝えられるかと探ろうとする「やさしさ」が世の中にあふれたら解決することがいっぱいある気がすると言いたいんです!

 

そんなこんなでわたしは『他人には優しく。ただしその見返りは求めない』をモットーにこれからも日々過ごす所存であります!うおー! 

ま、別にわたしが「こうしよう」ということだけなので他人には要求しませんよ。

 

そう言いながらもいろんな場面で「なんで想像力を働かせないんだよ!?」とイラッときたり、わたしの「やさしさ」を無下にされてしまってしょんぼりすることも、自分が思ったより人に優しくできないこともいっぱいありますが。笑

 

ただレストランの例え話がどんなことを言いたいのか見当もつかず、そしてそれを知ろうともしないでゲコゲコと他人をなじり、自分が人より秀でた点のみですべての価値判断をする弱いものいじめが好きなカエルに関しては『どうぞその狭い井戸の中で一生を終えてくださいな〜!そしてアホ面下げてわたしの海に入ってくんなよ(>ω<)☆』という気分です。(顔文字は口が悪くなるのを精一杯、中和しようと思い挿入しました)

 

それでは!

まな板の鯉は淡水魚の夢を見るか?

こんにちは。こじまです。

 

タイトルは「まな板の鯉」が言いたいがために考えました。笑

(淡水魚も三文字でいい感じです。自画自賛)

毎度毎度言っていることですが、9月がもう半分が終わってしまいます。早いです。ああっ…2018年がもうすぐ2桁台に…

 

ここ最近のこじま的ビッグニュースは『旅行に行くつもりだった弟が関西空港ダンケルク『中高時代の友達の結婚』です。

 

弟の関空撤退作戦についてはこじま家ではニュースを見るたびに「わぁ…ダンケルクだ…本当にダンケルクだ…」と家族でつぶやいていました。

孤立してから次の日の夜に帰ってきたのですが、大変だったみたいです。特に食べものがなくて大変だったり、作戦を練らない友達に弟はプンプンして帰ってきました。

 

撤退作戦に並ぶニュースは友達の結婚・出産です。中高時代の友達が結婚したりする時期になったことが少し不思議な感じです。

気持ちは中高時代とは変わらないのに、どんどん環境は変化していくのですね。ちょっと置いてけぼり感が。笑

でも、みんな楽しそうだし元気そうで何よりです。こじまも嬉しいし、楽しいです。

(またこれについてはいつかまとめよう。そういってまとめないかもしれない)

 

とにもかくにも、こんな取り留めのない話をするほど今のこじまは「まな板の鯉」状態で気がそぞろです。

次のことを考えるにもふわふわなため、いっそ「やりたいことやってやるー!」という気分です。(えっ、いつもやりたいことをやってるって?)

 

まずは寝て、寝て、ひたすらに寝て。笑

それから久々にPS4を起動して一人細々とモンスターを狩るなど諸々のゲームしたり。アニメや映画、ドラマ観たり。

チケッティングしたり、ネットサーフィンしたり。

写真整理したり。絵を描いたり。買い物したり。

間にちょこちょこアルバイトを挟んだり。

 

なんて穏やかなのですか…

ただのまな板の鯉なので、目に見える形でこれからのことが決まったわけではないですが、何だかいろいろと「やらなきゃ!」「しなきゃ!」から解放されている気分です。

むしろ「今までどれだけそれに注力してきたの…」と思いました。

これまでもやりたいことしか、やってきてはないですがいろんなことを「むんっ!」と力んで臨んでいたんだなと痛感しています。

 

たまには、ほげーっと過ごすことは大切ですね。

ほげーっとすることでまた頑張れそうです。

 

さてさて。

そろそろお腹がすいてきたので、掃除機をかけたらお昼でも食べましょうか。

それからトリップアドバイザーをぼやぼやっとみたりして、「旅行いきたーい」という気分に浸ろうと思います。

 

それでは!

 

 

雨の日は会えない、晴れの日は"僕"を想う

こんにちは。こじまです。

 

8月はずっと忙しく、自分もシステムエラーを起こしたりで書き溜めた文章を推敲する時間もないまま31日がやってきました。

正直こういうことしている場合ではないのですが、どうしても8月は自分の誕生月なので1つでもいいから更新したくてこうして文章を書いています。

 

このたびの誕生日をもって、こじまは干支2周目に入りました。

星座占いだと獅子座だったり乙女座だったりする不思議な日です。

ちなみに届出上の誕生日は3分しか過ごしていないので、わたしのなかで誕生日は2日あると勝手に解釈しています。笑

 

そんなことはさておき、干支2周目というある意味で節目の一つとなりました。

ここまでの自分の人生を振り返って、こういう風になりたいなという「今」のわたしの考えをまとめたいなと。

 

突然ですが、わたしはこのパツキンくんの顔になりたいです。

 

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結構真面目にいっています。笑

けれどもそれは顔の造形云々ではないです。どういうことかは今から説明します。

(どうでもいいですが、この人は暗い髪色のほうが個人的には好きです。それにしてもジャケットの主張がすごい)

 

今からする話はわかる人は分かる、わからない人は分からない話です。別にわからなくても死にません。笑

 

わたしは人の顔にはいろんなものが表れるとおもっています。

「二十歳までは親の顔、二十歳からは自分の顔」です。

うむ、ココ・シャネルも似たようなこといってました。

 

なんというか顔に人生の色がでるんです。感情の出し方とか、いろいろです。

人の印象はある程度は服装なんかでごまかせる部分も多いですが、顔は化粧をしてもその人となりが1番にじみ出るパーツだと。

 

アルバイトをしながら生徒の顔をみて「この子、話わかってないけど「わかります」って言ってるな」とか喫茶店のアルバイトでもお客さんをみて「のんびりしていきたい人だな」とか「優しそうだな」とか人の見た目からわかることが多いです。そして大抵はずれない。(そしてそれを仕事に活かす。笑)

だから意地悪い人はだんだん、いじわるそーうな顔になるんですよ。笑

 

このパツキンくんからわたしが感じるのは『寛大さ』『努力』、そして『「求められる姿」を「なりたい姿」に比較的ストレスなく昇華していること』です。

 

インタビューやらなんやらでは

「僕の苦労は僕にだけ、わかればいい」

「一つ我慢すれば二つ得て、二つ我慢すれば四つを得る。その時がくるまで僕は僕がすべきことをただ尽くすだけ」

「僕は僕の幸せのために行動する。そのために人を笑顔にして、その笑顔が僕を笑顔にするんだ」

なんて発言しています。

 

基本的にインタビューなんかは模範解答を事前に準備しているものだという考えなのですが、さすがにこれは1mmもこんなことを考えていない人間は発言できないなと思いました。

 

自分もそういう人間になりたいなと思いました。

それはわたしの努力次第ですね。

 

そしてパツキンくんが歌ったこのソロ曲、『Epiphany』(動画は字幕設定オンにしたら、英語でます)

この世界で"僕"は僕が愛すべき存在。

光り輝く"僕"を、大切な"僕"の魂を

やっと気がついたんだ。

僕は"僕"を愛そう。

完璧ではないけれど、とても美しいんだ。

"僕"は僕が愛すべき、ただ一人の"僕"

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BTS (방탄소년단) LOVE YOURSELF 結 Answer 'Epiphany' Comeback Trailer


果たしてわたしの思考がこの製作陣に寄っているのでしょうか、それとも世界に訴えていることがわたしの思考なのでしょうか。笑

 

わたしの幸せの器には、わたしにしか幸せという水を注げない。

そしてその器は穴が開いていて、決して満たされる瞬間がくることもない。

けれども、たとえ水が満たされることがなくてもわたしが水を注ぐことをやめる理由にはならない。なぜなら、すべてのことには意味があり満たされないことにも意味がある。

 

なんて、わたしは思います。

(そう思うと10歳ほど離れていた、はとこよりも気づけば5歳も年上になったことも不思議なものです。)

 

干支3周目にむけて世界一嫌いな自分のことを、もう少し好きになってあげようかな。

 

そんなことを考える干支2周目の始まりでした!

 

それでは!

 

 

余談ですが この「LOVE YOURESELF」シリーズの集大成である「結:Answer」はトラックリストの構成からも作品になっていてグッときます。よかったらいろいろ聞いてみてください。

 

すべてが記号になる

こんにちは。こじまです。

 

ちょっと前まで7月は一桁台の日付だったのに、気づいたら8月が迫っています。おかしいですね、わたしの周りの時空が歪んでいるのかもしれません。

最近言われておもしろかった言葉No.1の「人生何回目なん?4回目くらい?」と言われたのも時空が歪んでいるせいで、あながち間違いではないのかも。笑

 

それはさておき。ひょんなことから「国際化」とは何かという話になったので、息抜きに眠らせていたこの記事を書き上げました。(ああっ、先にやるべきことをやりましょうと石を投げないでっ…!笑)

 

巷では「国際化」を持ち出すことが最近はすごく多いと思います。わたしはその言葉が溢れかえる一方で昨今の「国際化」はちゃんちゃらおかしいなと思うことが多いのが現実です。

わたしの思うこの言葉の広く持たれているイメージは大学が売りにするところだと留学だったり語学力に結び付けられている気がします。(わたしの通う大学然り)

個人だとFacebookなんかのSNSで自己発信を他国の人にするとか、外国人の友達がいるとか、英語がしゃべれることだったりというあたりですかね。

別にそれでもいいと思うの部分もありますが、そこで終わるとただの量産型自己満足にすぎないのではないかと。

 

「国際化」という言葉を聞いて何をイメージするかはその人の自由です。

わたしにとっては「国際化」とは「自分が向き合うその人自身を見て、接すること」とその向き合う対象の拡張です。

 

わたしは中高6年間を良くも悪くも世界の縮図みたいな学校で過ごしてきました。

(いや本当に良くも悪くも階級社会であり、格差社会でありetc…リアル「もしも世界が100人の村だったら」です。自分の出身校、好きでもあり嫌いでもあります。またその話は追々…)

その学校は「外国籍」、「帰国子女」、「日本国籍」の3区分に受験枠が分かれています。なので1年目の「どの枠で受験した?」、「何人?」、「どこの国に住んでたの?」という言葉は挨拶のようなものです。はじめのうち、この言葉はかなりの効力を持つのですが段々と薄れ6年目になると、もはやどうでもいいことになるんですよね。(わたしもその括りにこだわっていた時期もあるのですが、今思い出すと本当馬鹿ばかしいです。笑)

 

その質問に飽きたという部分もありますが、その子と一緒に過ごすうちにそんなことにはなんの意味もなく、友情には微塵も関係ないことに気がついてきます。つまりは「どこの受験枠か」だとか「何人か」はどれもただその人に付随している記号でしかないのです。わたしは記号と会話をしているのではなく、その人と会話しています。

 

ちなみにわたしは「帰国子女」の枠でその学校に入りました。これは知っている人は知っているし、知らない人は知らない程度のことです。別に声を大にして言うことでもないので必要な場面でしかそう名乗らないし、尋ねられたら「そうだよ」と答えるだけです。わたしにとって親の仕事の都合で海外に住んでいたことは「今は関西にいるけど、小さい頃は関東に住んでいたよ」と全く同じレベルのことなのです。(ここに関東を選んだ理由は特にないです。笑)

 

「帰国子女」はわたしを表すただの記号の一つだけれども、わたしのなかで海外生活は今の価値観の根っことして確実に存在しているので、そこをなかったことにすることは難しいです。けれどもただの記号であることにあまり意味を見出してほしくないと思います。なんというか、「帰国子女」という記号に重きをおいてあまり話をしたくないのです。「こじまは◯について△と考えている」というのは良いのですが「こじまは帰国子女だから◯について△と考えている」みたいな収束のつけ方をしないでほしいのです。

 

今の『「帰国子女」にあまり意味を持たせないで』は人種や肌の色、性別、使う言葉に宗教、思考など数え切れないほどの文脈に当てはまるとわたしは思います。

男友達に「私服校やったからスカート履いて、学校行ったことあるんよー」と話の中で言われた時に「へぇー、そうなんや。着る服考えるのは面倒やけどいいなぁ、私服校。カーディガンとかでも登校できるし。うちの学校はカーディガンで登校できんくてさー」「せやろー」ともぐもぐお昼を食べながら呑気に会話をするのもわたしの中では同じです。(当時、一瞬びっくりはしました。でもそれだけです。進路が違ってからも彼とは定期的に会う仲です。)

 

記号は記号、その人はその人として話をすることができるように訓練していく過程で「『世の中いろんな人がいるし、あなたもいろんなことを知って、受け入れてみると見える世界が変わるかもよ?』と他人を誘ってみること」ができると、より「国際化」なのかなと感じます。

 

人間みな何かしらの記号がついています。もちろん自分に嫌なことをしてきた人にも記号がついているわけで。

「国際化」とはただ憎い相手と同じ記号がついているという理由だったり苦手だと思う記号が実は付いていたとわかったという理由で、昨日まで仲良くしていた友達をやめるのかという話でもあるかと思います。

 

それでは!

(色眼鏡で見られたり、いろんなことがすごく面倒だから、あの学校界隈の人間以外に「帰国子女」とか「スポーツなどで日本以外の国を応援する理由」をあまり言いたくないという話でもありました!ちゃんちゃん!笑)