こじまのかべ打ち

こじまが話したいことを書き書きしてます。

"ステージ"であいましょう

こんにちは。こじまです。

 

前回あげた記事がどうやらこのブログで100記事目の記事だったみたいです。

 

そんでもって、このブログをはじめて5年になります。

 

ブログを始めた頃は大学院にも東京に行くなんてことも想像していませんでしたし、こんな仕事をして、あんな部署にいって食い扶持を稼ぐだなんて夢にも思いませんでした。

 

ほんと人生ってなにがあるかなんてちっともわからないです。

 

さて、自分のことですら5年でいろいろあったなぁと思うなかで、人間関係変わったなと思うことも多い年頃です。

 

住んでる場所が近くなったり、遠くなったり。

毎日のように会っていた人と1年に1度会えば多い方になったり、逆に顔見知り程度だった人と毎月遊んだり。

 

特に今年で29歳にもなるわけなので、周りの同世代は結婚したり、子供ができたりといった契機でいわゆる"人生のステージ"が変わる人が多いです。

 

特に結婚という"ステージ"が多いです。

いわゆる結婚ラッシュだ!とつい思ってしまいます。

 

ちなみに、そんな周囲の雰囲気に対してこじまは一緒にごはんを食べてくれる人がいるのはいいなぁと羨ましく思いつつも、結婚的な意味合いで"ステージ"が変わる気配が微塵もありません。(どうして!笑)

 

そんな感じで"ステージ"が変わる人が多いけれども、久しぶりに会っても、個人的に劇的ビフォーアフターを感じるようなことは、あまりないなという気もします。

 

そうわたしが思うのはきっと"ステージ"って階段じゃなくて、反復横跳びなんだなって感じるからかもしれないです。

 

時々、人生の"ステージ"は階段のように表現されることが多いと思います。

一段ずつ積み上げていく、登っていくような。

何歳までにあれして、これして。

 

でも本当は反復横跳びのラインのようにそれぞれが同じ高さにあって、ぴょこぴょこ飛んで会話する相手と共通の"ステージ"に移動するそんなイメージです。

そして、自分の今いる"ステージ"の隣の"ステージ"が自分の立っている位置で変わるみたいな。

 

だから稀に聞く当時の友人と会話に違和感が出てくるという手の話は、そのときの"ステージ"までの移動距離が変わってくるからではないでしょうか。

 

「高校時代」の"ステージ"が1つ隣だったのがだんだん2歩向こう、5歩向こうに、そうやって遠くなって、すぐ戻れなくなって。

 

1歩動けば戻れる当時の友人がいたとしたら、そこで価値観が合わなくなっていくような気持ちになって"当たり前"だと思います。

だって、戻るためにかけてる労力が違いますから。

 

その相手との時間が終わったらまた"ステージ"を横跳びで移動するので、共通の"ステージ"が遠ければ遠いほどしんどくなって当然です。

 

でも、それでいいと思います。

だってその"ステージ"に来る・来ないだって自由なんですから!

 

階段みたいに上とか下とかがあるわけじゃないので、立ち位置での優劣みたいなのを感じなくていいと思いますし、なんてったってあの頃と今では自分の周縁にある"ステージ"が違っても、また何かの拍子に同じになったり、ひょんなことで近くなったりすることが月日を重ねる醍醐味の一つではないでしょうか。

 

高校時代の"ステージ"が近いわたしは変わってないと思っただけで、もしかしたらあの時あったあの人はわたしを遠く思ってたかもしれないのもまた一興ということで。笑

 

そんな取り留めのないことを中高時代の友人に会うことが多かったゴールデンウィークを振り返りながら、屈託のなく素直に人生を生きたい気持ちに悶えながら『スキップとローファー』を鑑賞した週末に考えたこじまでした。

 

それでは!