こんにちは。こじまです。
ワクチン接種の3回目の副反応で会社を休んで2日目です。
仕事がひとやま越えたことでホッとして気がぬけてしまったのかもしれません。(でも、たぶん山は越えていない)
案件の山場が差し迫るなかOJT先輩が遠慮なく連休をとって、案件担当者がぺーぺーのこじまだけになったりで各部からの照会をさばきながら、案件進めて。
そんなわたわたしてるときほど、トラブルは起きるし。
(さすがにかつてないほどのどデカい案件の山場がわかってるのに、ペーペーを置いていくのはヤバいと思いました。休暇は権利だけどさ…OJT先輩、最近こじまに仕事押しつけがち…ちゃんとやるけどさ…この状況を上司と隣席先輩はわかってるから、ありがたいかぎりです…)
でも、わたしも2日もお休みしちゃってるのでお互いさまですね。笑
他部署のポカの帳尻合わせ&尻拭いをしながら
「おたくのせいでお客さんに迷惑かけちゃうんですけど〜!?!?」
「謝ってこいよ!!!チャットで『すいません』じゃねぇんだよ!!!」
と心でキレながら残業していました。
同期に愚痴ったら「結構マジで怒るの珍しいね。本気で怒るとめちゃ関西弁でてる」とにゃんにゃん被った東京人の皮が、剥がれかけたりと
そんな色濃い2月でした。笑
本当、会社にはいって初めてしんどいと思いました。泣くかおもったわ。
上司には「それ感じるの遅くない?」と笑われました。うん、わたしもそう思います。笑
仕事しながら心のなかで『ハイキュー!!』の稲荷崎高校のキャプテン北信介の
「喝采はいらん ちゃんとやんねん」を心で繰り返し唱えながら仕事してました。
昨日を守って何になる!トラブルからいっぱい勉強できた!!
今回のことでまた1つ賢くなったなぁ!!
昨日学んだことから今日何するか、そんで明日にどう繋げるかが大事やねん!!
『思い出なんかいらん』のや!!うわー!!!
(稲荷崎戦も名言いっぱいある…また書きたい…あ、あとアニメ見返そ…電子でもういっかい単行本買うかな…)
さて、前置きが長くなってしまいました。
先日学部時代からの友達と東京でお茶してきました。
はじめて代々木ら辺をぶらつきました。
代々木上原にモスクがあってので見学しながら、
「なんでモスクの上階は女性だけなのか」とか「なんで代々木なのか」とか2人して調べだしたり
ハラールマーケットでタスビークリッカーなるものをみつけて、唐突に友人にLINEしたりしながら
「こんなんゼミのフィールドワークやん!」と笑い合いました。
(ちなみにその後、表参道まで歩きました。さすが山道を走ったり、ダイアモンドヘッドを共に登った仲です。笑)
そんな仲良しの友達がまたひとつ人生の選択をして、すごいなぁと思いました。
物理的な距離は今よりも離れまてしまいますが、なんとなく王道をいかない者同士このまま緩いけど濃い関係性が続けばいいな。
そんな友達と話しながら、お互いにいわゆる"普通の社会のレール"に乗れていないことを
引け目を感じてて、それぞれ思い悩む瞬間がある気がしました。
別に人生に正解があるわけではないし、絶対に失敗しない道があるわけじゃないのに
"社会のレール"という言葉があることは王道があるという証明に近しいわけで。
そこにわたしはうまくはまって生きてはいけてないけど、楽しいことはあるし、ちまちまと前には進めています。
もしかしたら、よくいう"社会のレール"っていうのは実はレールじゃないのかもしれません。
じゃあ、なんなんだと考えたときに目の前にあるのはレールなんかじゃなく、
ただの轍なんだという答えのひとつに行きつきました。
自分が歩いている道はぬかるみで、信じることができるのが誰かが通った轍しか残っていない。
そこ以外は道なのかわからない。だからそれを信用するしかない。
というほうが、わたしのなかでは妥当な気がしました。
むしろ、レールは自分の通ってきた道のほうではないでしょうか。
たしかに自分がここまで歩いてきた道は疑いようもないじゃないですか。だって今、自分がここにいるんですから。
時々その自分が築きあげたレールに乗って昔を思い出したり、また目の前のぬかるみにレールを作って。
そうやって、人は毎日を過ごしているんじゃないでしょうか。
みんなレールを作っているけど、それぞれのレール幅は列車によってその幅が違うように人それぞれなのに
一見同じレールに見えるから、作るのが遅れているんじゃないかって勘違いしたりしてるんでしょうね。きっと。
と、休息期間のこじまは喧喧囂囂と頭のなかで議論して考えました!
さいごに友達と一緒に見学したモスクの写真を載せおきます。
それでは!