こじまのかべ打ち

こじまが話したいことを書き書きしてます。

あくまでも「わたしの正義」の話をしよう

こんにちは。こじまです。

 

去年の夏、一緒にフィリピンへ行ったゼミの友人のFacebookの投稿がずっと引っかかったまま、今も考えています。

 

”物乞いを無視すること”に対して罪を感じていた。

だから支払うチップを多めに払っていた。

物乞いたちに夢があるようには見えなかった。

その日、遊んで食べて生きることがすべてであるようにみえた。

 

本当はその投稿を引用して載せるのがいいと思うのですが、公開範囲を限定しているので気になったところを抜きださせてもらいました。ここからはわたしの主観しかないので、本人の伝えたかった意図はきちんと原典の投稿を見てもらったほうが絶対にいいです。ですが、”その投稿を読んでわたしはこう読み取った”というのも事実ですので、そのままわたしの思うことを書きたいと思います。

 

この投稿をみたとき同じ風景を見ているのに人は全然違うことを考えているのだなと改めて実感した瞬間でした。

彼と反対にわたしは物乞いに対して罪など感じなかったです。単に人が”物乞い”をしてくるとしか見てなかったです。

 

そして彼の投稿に対して

「なんで物乞い≒かわいそうの図式ができてるの?」

と真っ先に浮かびました。彼の投稿に”かわいそう”という言葉は一言もでてこないですが、ひしひしと”かわいそう”を感じました。

 

その日1日をどう過ごすことしか考えられなくて”かわいそう”

夢がないようにみえて”かわいそう” 

 

でも、それって自分のものさしで測ったら”かわいそう”なだけじゃないのかな。”かわいそう”と思った時点で、それはただ「施す者」と「施される者」の関係になってしまい、そこに人として明確な線引きと少しの立場の優劣を感じました。

 

 

かわいそうという言葉はわたしも使うのですが、この投稿から感じたなんとも言えぬ”かわいそう”が苦手でして。笑

 

今を生きることに精一杯であることに幸せはないのでしょうか。

その人たちに幸せを感じる瞬間のスイッチが自分と違うだけで、その人の”幸せ”の定義を勝手にわたしたちが決めることができるのでしょうか。

 

わたしは物乞いそのものよりも”物乞いではない人生を送りたいと思った時に変わるための手段がない”、”物乞いが物乞い以外の世界が見えないこと”なんかについては世界が変わっていかなくてはいけないのではないかなと思います。

 

けれども、彼だけでなくいろんなボランティア活動に感じる謎の空気に対する違和感が消えないです。

 

空気名:”変えるため、救うために何かしてあげないといけない。だって○○じゃない(できない)なんておかしい(かわいそう)じゃないか”

 

わたしが苦手な空気。

何かに対して「それはよくないよ。こうしたほうがいいよ」と言われるときにも似ているような空気。

 

ときどき思います。

 

「わたしはわたしで”幸せ”なんだからほっといて。勝手に不幸せのレッテルを貼らないで」

 

その空気をまとって活動することは「悪いこと」ではないです。世界を変えるかもしれない1歩を踏み出すことは世界にとって偉大な1歩になる可能性を秘めていて”素晴らしい”世界が広がるかもしれない。声なき声を聞き、救うかもしれない。

けれども誰かのためを想っての行動が、誰かの何かを踏みにじって傷つけているかもしれない。 

 

暗闇に突っ込んでみる勇気はすごいです。だって暗闇に何がいるかなんて、入ってみないとわかんないですし、何も始まらないですもんね。

 そう思っていたら、何もしないことが誰かを傷つけないためには1番かもしれない答えに行き着いてしまいそうです。でも、それはそれで問題で。笑

 

彼の考えは多数決をとればおそらく「いいこと」になります。

けれど、そのことが誰にとって「いいこと」なのかはきちんと考えていく必要があるかなと思います。ちなみに「みんな」という答えをわたしは受け入れられないです。「みんな」って誰やねん。

 

繰り返しになりますが、わたしは彼の考えはすごいと思います。まだ見ぬ誰かのために頑張ることは今のわたしには到底できないことなので、見習わないといけないです。ただ認めるけれど、わたしは手放しで「すごいね!」って言えないところがあったよってことだけです。

 

なのであなたの”正義”を認めるけれど、わたしの”正義”をより豊かにしそうな部分だけもらっておきます。

 

こうやって記事を書くことでわたしも誰かを傷つけているかもしれないですね。

 

傷つけたくないのに傷つけてしまう…

けれどもわたしの「正義」は変えられないし…

(なんか古くさいラブソングみたいなってしまった笑)

 

あーっ!難しい!笑

 

それでは! 

 

 

 

Message in the rock 'n' roll

こんにちは。こじまです。

 

こんな記事をぽやーっとネットサーフィンをしていたらみつけました。 

(こういう記事を読むのには抵抗がないのにTOEICになった瞬間、同じところを読み続ける壊れたロボットになるのどうにかしたい) 

 

www.nytimes.com

 

ここに書かれていることをすごくざっくり言うと

『だいたい14歳前後に影響を受けた音楽が1番その人の音楽の好みに反映される』

とのこと。

 

へぇー!って思いながら自分が14歳くらいだったときを思い出してみました。

今でこそ「K-POP!アイドル!」と言ってるわたしですが、14歳くらいのころはK-POPに1mmも興味がなかったです。ベクトルが全く違う音楽が好きでした。

 

The PoliceQueenAC/DC、Yes、Led Zeppelin、Deep pupleとかそのへんに傾倒してました。ジャンルとしてはいわゆる70年代、80年代のロックバンドっていえばいいんですかね。逆に最近のバンド知らないです…(cold playくらいかな…)

 

ここらへんにハマるようになった決定的きっかけは1本の映画。

『School of Rock』という映画を学校で観たときに、劇中歌がはいるたびに「あれ、これ家とか車で聴いたことある曲じゃない…?」と思い親に話すとあれよあれよと大量のCDがでてきました。そして見事にハマりました。

 

もともとラジオっ子で特にFM802がお気に入り。

好きな番組帯は土曜日の12時から16時。好きなDJはマーキーな14歳でした。

ああっ…自分の部屋で電波がきれいに入る場所を探していたときが懐かしい…

 

つまりは「お前、一体いくつだよ」って思われるような音楽の趣味をしてました。

 

この曲のなかで何を言っているのかが知りたくて今までやる気が皆無だった英語をちょっとは勉強しようと思った14歳。

 

人生はじめてのコンサートはThe Policeの再結成ライブで、バンド生演奏の感動を知ったのも数えでいえば14歳!(それまでは演劇とかオーケストラの生演奏しか聞いたことなかった。なんかこういうとどっかの貴族みたい笑)

 

ジャンルが違うけど記事の内容が自分にどれだけあてはまるかなとひさびさに14歳のとき好きな曲をらYouTubeで片っ端から探して聞いてみると

 

曲調はどっちかというとアップテンポが好みで、なんというかズンドコ!ズンドコ!みたいな感じや繰り返しのサビや中毒性があるものがすき。

歌詞はAC/DCの『It's a long way to the top』の「トップにいくためには努力がいるんだぜ」(訳が適当で申し訳ない)、The Policeの『De Do Do Do,Da Da Da Da』の「言葉に縛られすぎだ!」のようにメッセージがあるのとか意味深なのがすき。

 

あれ、これ今の音楽の好みと変わらない…

 

曲を構成しているのがバンドかEDMのどっちが中心か。

楽器演奏してるか踊ってるか。

違いといったらそれくらいで。笑

 

ちなみに

歌詞が何いってるか知りたいから言語の勉強もがんばろうと思った流れもいっしょ。

生のパフォーマンスがみたいからコンサートやイベントに行かなくては!とお金を貯めるのもいっしょ。

好きな洋楽曲にはカオスな邦題がつけられ、K-POP曲はカオスな日本語歌詞になって日本で売り出されているのもいっしょ。笑

 

それに気づいたらなんかもう、びっくりです。ジャンルは変わっても好みの根っこは同じなんですね。洋楽からK-POPに行き着くまでに通ってきたほかのジャンルでもきっとそうなんだろうなぁ。

 

となるとほんと、”三つ子の魂百まで”ということわざも侮れないですね。

 

そして音楽について文字で話すのって難しいですね。

音楽好きなんですけど、用語とかめっきりわからないですし、ラジオで聞いてた曲はタイトル知らないの多かったり。

 

ああーっ、これオタクに怒られるやつだーっ。

ああーっ、にわかだって言われるやつだーっ。

 

 

あの日聞いた言葉を僕たちはまだ知らない。

こんにちは。こじまです。

 

今日はわたしの考える言語を学ぶことについてのおはなしです。

 

先日、韓国語を勉強しはじめてK-POPにハマったというおはなしをしました。

実は文法やらなんやらを勉強した言語でいうと韓国語は7つ目の言語になります。

日本語、英語、オランダ語タガログ語ポルトガル語、イタリア語、韓国語。

これがわたしが今までで勉強した言語です。これだけいうとマルチリンガルみたいでめちゃくちゃかっこいいですが、まともに意思疎通ができるのは日本語くらいです。笑

しかもせっかく勉強したのにもはや記憶がおぼろげな言語がちらほらあります。

 

どれも身についてないじゃないか!と怒られてしまいそうですが、別にどれも実用が目的で勉強をはじめたわけではないんで、「まぁ、いいや」と思っている節もあります。ははっ。

 

けれども言葉を学んだなかでは自分のなかにきちんと何かが残っている気がします。

 

わたしはその地域の文化や考え方が1番に表れるのって言葉だと思うんです。

たとえば日本語でいったら、兄弟姉妹と生まれた順で呼び名を区別するけれど英語は"brother"と"sister"しかないところ。兄弟の呼び名「お兄ちゃん」とか「お姉ちゃん」みたいにを区別する日本や韓国は序列において、年齢がすごく比重がおかれる要素であることに気がつきます。

ほかにも”こもれび”という言葉は日本以外の地域では相当する単語が存在していないこと。これは日本語をつかう地域とそのほかの地域では見ている世界が違うことがわかります。

 

こういったように言葉からその地域の文化がチラ見えするんです。そうすると自分と違う考え方をしている人がたくさんいることがわかってきて。それでいいんだって思えるようになってきます。

『真実はひとつかもしれないけれど、正解はたくさんあること』をわたしはいろんな言葉を学ぶなかで気がつきました。

 

誰もが納得する模範解答を作っていきたいのなら、ほかの正解も知らないとただの独りよがりになる気がして。ほかの正解をイメージするための足がかりとして”言葉を学ぶ”ことも手段の1つだと思うんです。

 

理解することの前にある”知っている”という状況が大事かなと。

 

こういうふうな考え方になったのは、中学・高校時代の「クラスメイトの言語を知ろう」が目的のあの授業のおかげですね。

当時は言葉を学ぶことの意味なんてさらさら考えていなかったですが、 今になってあの授業の意味がわかった気がします。

 

ありがとう!Thank you!

Dank u wel! Salamat!(Salamat po!)

Obrigada! Grazie! 고마워요!(감사합니다!)

  

なんて、かっこつけた文章を書いていますがこれは最近、勉強していてふと気づいたことです。そう、インスピレーション笑

 

つまりは「試験のスコアを上げるとか実用的かどうか以外を理由に言葉を勉強しようって思ってみませんか。言葉をつかえるようになって何するのか考えませんか」っていいたい!

公的な記録として自分の語学力を証明することは価値があることに同意はします。わたしも試験受けるし。スコアが高かったら達成感もあるし、それはそれでモチベーションも高まるし。

けど正直、証明を第一目的として勉強するのはなんかちょっとね!手段が目的になってる気がして気にくわないね!笑

スコア目的は否定はしないけど、好きか嫌いで言うなら、わたしはきらい!キライ!嫌い!笑(あくまでも個人的意見です)

言葉はツールやから!使えるようになったら、その先でその言葉を使って何を考えて、何を伝えるのかがもっと大事やとわたしは思うんです。

あとは母国語で考えられないことはそのほかの言葉でも絶対できないからね!(わたしの経験上)

だから母国語での勉強とか経験ももっと大事にしようよね!ってときどき周りをみていて感じてる。

 

(つまりはあの授業はTOEICみたいなテストに対して「この試験で英語のなにがわかるんや!?わたしはこんなことをするために英語を勉強してきたんじゃない!」という謎の反抗心を持ったひねくれこじまに生む理由でもあるということです笑)

 

この壁打ち記事を最後まで読んでくれたあなたが、こんなこと考えてる人がいるんだなぐらいでも思ってもらえたならなんて思ってます。

 

それでは!

 

 

 

 

迷物語

こんにちは。こじまです。

 

今日はこじまはやたらめったら道を尋ねられるというおはなしです。

 

数日前に家に帰る途中に突然、何やら気配を感じます。

すると近くで信号待ちをしていた車の窓が開き、中にいるおばさんが声をかけてきました。(はじめは場所が場所なだけにやーさんかなとさえ思ってビビっていた)

 

「駅まで行きたいんですけど、ナビだとここ曲がれっていってるんですけど合ってますか?」

 

(・◇・)!?

 

家に帰る方角的に車に近づいているとはいえ、信号待ちをしている人ではなく歩いているこじまを選択したおばさん。

 

一体、なぜこじまを選択したの!?

 

これは毎回、道を聞かれるたびに心の中で叫んでいます。

 

たとえ、ゆらゆらと揺れながら音楽をガンガンに聴いて信号待ちをしていたとしても…(なんならサングラスもかけてた)

 

「〇〇(近所のごはん屋さん)ってどう行けばいいですか?」

 

たとえ、乗りたい電車がもうすぐ来そうでせかせかと早歩きをしていても…(イヤホン装備)

 

「is this station's entrance?」

 

梅田で友達を待っているとわたし目がけて走ってきて…(もちろんイヤホン装備)

 

 

ヨドバシカメラってどういけばいいですか!?」

 

家の近くだと「地元民っぽいかんじがする」も道をきこうかなってときは重要なポイントだと思います。ですが、全然地元ちゃうし!知らんがな!状態の土地でも道をきかれることもあります。

なんなら海外でも道をきかれたことだってある。こじまに決定したプロセスがもはや謎。なんでヨーロッパ系の人が!ニュージーランドで!こじまに!モール内の店舗の場所聞くの!?(ジャージ着てたから?笑)

 

しかも道を尋ねてくる人のタイプはみんなバラバラで。

外国の人も結構、駅で乗り換えとか尋ねてくる。説明が難しいかったら魔法の言葉「Follow me!(笑顔)」か、駅員さんにいっしょに聞きにいったりで切り抜けられるのでぜひとも参考にしてください!笑)

 

ここまでくると、もはや一種の才能な気がしてきました。笑

 

”迷子を引き寄せる才能とでも名前をつけておきましょう。

 

どれほど急いでいようと、どれだけ外の音をシャットアウトしても道を尋ねられるのですが、おもしろいことにナンパには人生で1度も合ったことがないんです。

 

友達の話を聞いている限り、街中で声をかけてくる人はあやしかったりしますがごはん屋さんとかそういったとこでも、びっくりするほどナンパに遭遇しない人生を歩んできました。いっそ、その存在を怪しむほどです。

 

まぁ、ナンパに声をかけられない理由はおそらく”わたしに話しかけんな”オーラのせいだと自覚はしています。笑

 

1人のときは基本的に自分の世界で考えごとをしているときは神妙な顔をしているようです。コーヒーにするか紅茶にするかみたいなしょうもないことでも、真剣な顔しているみたいです。そこからにじみ出る『今、考えごとしてるから邪魔すんなオーラ』はすごいらしいです(「もはや人生の選択を迫られている顔」By 友達)

 

そんな話しかけんなオーラがでてる人に私だったらナンパしないです。

しかしその”わたしに話しかけんな”オーラをくぐり抜けて道を尋ねてくる人たち。笑

彼らにわたしはどう写っているのか…

 

”道を尋ねる”ことがしやすそうな人、しにくそうな人。

”ナンパ”をしやすそうな人、しにくそうな人。

 

声をかける目的が違うので、ターゲット(?)になる人に違いはでてくると思いますがどういう基準でそれぞれ声をかけているのか気になるところであります。

 

それでは!

 

 

 

 

 

 

 

アイドル一直線

こんにちは、こじまです。

 

今日はこじまがK-POPにハマっているというおはなしです。

 

もともと趣味への投資は半端ないですが、コンサートBlu-ray買ったり、コンサートやイベントのために東京までほいっと行ったり、同じ公演のコンサートを2回、3回ためらいなく行きます。

(まぁ、単にジャンルが変わっただけともいえる)

というように、びっくりするくらい韓国アイドルにハマっています。

 

これほどまでにどハマりするきっかけはちょうど1年前に遡ります。

 

きっかけは韓国語を勉強しようと思い立ったところから始まりました。

(話が長くなるのでそうなった経緯はまた別のおはなしで…)

 

そしてK-POPを聞けばリスニングも参考になるかと思い、人生ではじめて買ったCDは東方神起というこじま弟(ボーイズグループ大好き)の力を借りて、いくつかおすすめのグループを教えてもらいました。

 

今までも東方神起のパフォーマンスを生で見る機会があったけれども「ほー、ダンスうまーい。かっこいいー」くらいだったのに…

 

弟が見ているYouTubeで一緒に曲をきいてダンスをみても「え、みんな同じ顔に見えるんやけど」と困惑したのに…(勝手にあだ名をつけて弟に確認する遊びとかしてました)

 

歌詞を訳してみようと思い、日本語にしてみたら

「うわぁ…めちゃいい歌詞やん…」

そう、この瞬間にこじまはK-POPにハマりました。(ちょろい)

 

「ほかの曲はなんていってるんだろう!」と気になりだしてからは、夜な夜なYouTubeを彷徨う生活を送り始めました。

 

もはや韓国語習得という本来の目的そっちのけでK-POPにのめりこんでいます。

 

ちなみにK-POPについて はじめびっくりしたことをざっと挙げると

①韓国の音楽市場にはアイドルしかいないのかってほど、アイドルがあふれている

②公式からYouTubeなどにアップロードされる動画が豊富。1つの新アルバムに対してタイトル曲のフル音源MV、MV(dance ver)、練習風景に近い定点映像、撮影・録音時のビハインドストーリーなどなど(そして個人が全曲YouTubeにアップしていてもめったに消されない。日本じゃほぼありえない)

③シングルCDという概念がない。アルバムしかない。

④新曲を発表すると5つほどある音楽番組に1ヶ月ほど常に出続け、そのほかメディアにも積極的にでてくる活動期間がある。それが終わるとぱったりとメディアにでてこない

⑤コンサートやイベントは写真を撮っていい場合が多いらしく、マスター(いわゆる”追っかけさん”)が撮った写真をSNSにあげたり、勝手にグッズを作ったり、差し入れとかアイドルの誕生日に駅に広告だしたなどの行動が表舞台(?)にバンバンでてくる(アーティストの肖像権とかが機能してるのかあやしい)

⑥プロモーションの大半が事務所の名前で行われている≒事務所>レコード会社?(日本はレコード会社パワーがめちゃめちゃ強いイメージが)

⑦メンバーで共同生活してる(ということは、めちゃくちゃ管理された生活を送ってる)

 

 

そして、だんだん”すごい”、”かっこいい”以外のことも思うようになってきました。

 

もはや「きゃー、かっこいいー!」は2割くらいになってるような気がするくらい、『K-POPアイドル』に、”人”とか”人生”とかを投影してます。

なんでか額面通りに”かっこいい”が受け取れないんです。笑

 

 

K-POPアイドル』をみているとまるで深淵を覗いている気分がたまらないです

正直、文字ではなく言葉にしても共感してくれる人あんまりいない気がします。笑

 

そんなこんなで、毎日いろいろと思いながら私なりに楽しみながらK-POPを追っかける日々を過ごしています。

 

そして深淵と好きなアイドルの話のおはなしへとつづくかな…?笑

 

この話にお付き合いしていただける方はまたどこかのおはなしで会いましょう。

 

それでは!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冬の日

こんにちは。こじまです。

 

今日はワーカホリックなこじまと”引き出し”のおはなしです。

”やらなきゃ”の原動力の1つのおはなし

(あ、別にそんな暗い話じゃないです)

 

友達に更新頻度を考えないとネタが尽きるといわれてペースを考えていたら、ぶっ倒れました。(因果関係はありません。笑)

結果1週間ほど寝込んでいました。この時期のこじまあるあるです。

毎年、ほぼ確実に電池切れのように1月末から2月のどこかで1週間近く寝込みます。

 

今回の電池切れは高熱にうなされているなかで、『生きねば』と謎の使命感にかられながら雑炊やうどんをかきこみ、寝て覚めて寝てを繰り返してまぁ、なんとか気合いで携わっていた企画に行って。

 

そして熱が下がりかけてきたなかで真っ先に考えたのが

「仕事のメール返さなきゃ」とか「やらないといけないことやらなきゃ」

そして布団に潜りながらパソコンをいじってました。(親にみつかって寝ろとめちゃめちゃ釘をさされた) 

  

病気のピークがすぎたら、自分のやるべきことを考えてしまうあたり正直、自分でもそっちのほうが遥かに病気だなって思います。

 

しんどいしんどいって言いながら、スケジュールを詰めていないとそわそわしたり。

大学の研究や勉強、委員会の会議や作業とかの合間を縫ってアルバイトをしていくと毎日どこかで働いていることに全然気づかなかったり。

もうやめてやる、ほんとムカつくと思っても委員会の仕事を続けたり。

泣きながら作業したりとかすることもあるんですが、やらないとって思うんです。

 

 それは半分くらいは脅迫観念かもしれないです。

けれども『これを乗り越えたら何か見たこともない何かが見えるかも』、『自分はもっと遠くへ行けるかも』のほうが勝つんですよね。

 

泣きながらしていることのどれにだって原点には”楽しい”があったのは事実なんです。

でも続けていくとそればかりじゃなくて”楽しくない”の壁にぶつかります。

そこで終わりたくないなと思うのなら壁を破るしかない。

ただ単にぶつかれば壊せるものではなくて、その壁は強さがないと破れないとわたしは思います。

楽しむためには強さがいるんです。

強さに正しいも間違っているもないですが、強さのあり方の1つに『自分の引き出しにしまえるか』があるんじゃないかなと思います。

 

そのとき得た知識、目的や目標を達成して誰かに認められたときの達成感や、たとえ今すぐには報われなくて味わったくやしい気持ちも全部全部わたしの引き出しの中にしまわれて。

知識や経験取り出すことはもう死ぬまでない引き出しがあるかもしれないけど、わたしというタンスは引き出しが増えるたびに大きくなっていく。

タンスが大きくなればなるほど、また新しいスペースに引き出しをみつけることが楽しくなってきて頑張れる。

あるとき作業なんかをしているときに全然違った引き出しから取り出して使ってみると実は引き出し同士は繋がっていたり。

それがわかると「ほわぁー!そこはそうなるのか!」と推理小説のトリックがわかったときの感動がたまらなくなります。(あくまでこじまはです)

 

わたしの大好きな漫画の1つ『ハイキュー』のある登場人物のセリフに

「自分は天才とは違うからと嘆き、諦めることより自分の力はこんなものではないと信じてひたすら真っ直ぐに道を進んでいくことは辛く苦しい道かもしれないけれど、才能の開花やチャンスをつかむのは今日かもしれない」

 

というのがあります。(ハイキューは名言の宝庫なのでいっぱい紹介したい。こじまのバイブル)

 わたしの引き出し論もこれと一緒じゃないかなって勝手に考えてます。笑

 

どこまで自分は強くならなくてはいけないのか。

本当にわたしに才能はあるのだろうか。

いつになれば「わたしのやってきたことは間違ってなんかなかった」と自信が持てるのか。

泣いても喚いてもその答えは誰も教えてくれなくて、自分でもわからなくて。笑

けれども真っ暗なその場に留まってやめてしまうよりは、わたしは前に進もうと思います。

もがいて、もがいて、もがいてその先には新しいわたしがいると信じるしかできないですが。

 

こんなことを考える、とある冬の日でした。

 

それではわたしの好きな曲の歌詞を置いて、今回は終わろうと思います。

 

「君は全部わかってるだろ?ぼくの親友なんだから。 朝はまたやってくるって」

「どんな暗闇も、どんな季節も永遠じゃないから花は咲くんだって」

「あと少ししたら、あと何回か夜を越えれば会いにいくよ。迎えにいくよ」

「寒い冬が終わりを迎えて、また春の日が来るときまで。花が咲くそのときまで、もう少しそこにいて。待っていて」

 

 

 (元は日本語ではないし、失恋曲っぽいけどいいように訳して、自分を励ましてます。読み取り方は人それぞれだしね!こういう風に好きな歌詞の曲紹介していくの楽しいかも)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私をスキーに連れてって(スノボも可)

こんばんは。こじまです。

テストと課題に埋もれていましたが、復活です。

 

この2、3日のうちニュースをみれば雪という聞かない時間帯はないですね。

 交通機関や流通の乱れが起こっていて大変だなと思う反面、

「今年は雪たくさんあるぞー!新雪最高だろうなー!雪山いきたーい!」

という気持ちが抑えられないです。

 

そう、今日はこじまの趣味のおはなしです。(その1)

 

雪山にある知り合いのペンションに居候しに行くほどスキースノーボードが大好きなんです。

ブランクも含めてですがなんやかんやスキーは15年、スノボは7年くらいやってます。はい。

 これを言うとたいてい「えっ、スキー(スノボ)するの?」とびっくりされます。

 

するよ!

スキーも!

スノーボードも!

Yes,マイスキー&マイボード!!

(ちなみにスキーはサロモンの2015-2016モデルのx-pro、スノボはGRAYのSOLIDをそれぞれシーズン終わりに破格の値段で買っちゃいました。てへっ)

 

普段みんなの目にこじまは一体全体、どう写っているのですか!

 

それはさておき、私の大学生イメージでは大学にはいれば雪山エンジョイライフを満喫できると思っていました。

けど意外とできないものなんですね。滑走日数はそんなに増えてないです。がっかりです。

 

雪山に大学生はいますよ。居候のペンションに夜やんちゃしちゃう大学生のサークルとか泊まってましたし。

リフトも大学生のグループ+こじまでしかなかったですし、きゃっきゃっ言いながらスノボのビンディングつけている横でこじまは1人で黙々とつけて滑って行ったり、スキーで通り抜けましたよーっと(さびしいとか言ってない)

 

費用面のハードルが高いのかそれとも技術面のハードルが高いのか。

 

費用面に関してはアルバイト代をこじま家に納める生活費以外は自分の趣味や楽しそうなことへガンガンお金を注ぎ込む毎日のおかげで感覚が麻痺しました!

なので○万円する板にお金だしたとしても雪山がより楽しくなるなら全くっもって惜しくない!

 

技術面では「はじめはみんな初心者だから大丈夫!」しか言えないです!!

 

ふぅ…。

とにもかくにも行きたいなぁ、雪山。

1度でいいから友達と雪山旅行がしてみたいよー!

誰か連れてってー!(壁打ちだから自分に返ってくるけど、言ってみる)