こじまのかべ打ち

こじまが話したいことを書き書きしてます。

いつも心に"アイドル"を

こんにちは。こじまです。

 

2月です。もはや2021年のうち1ヶ月が終わってしまいました。なんてこったです。

そして提出したレジュメの誤字脱字がひどすぎて「なぜ読み返したときに気がつかなかったのか」と過去の自分を殴りたい衝動に駆られています。

 

さて、そんなこんなで「かべ打ちブログ」を書き始めて3年が経ちました。

こんなにも壁打ちを続けられるなんて思ってもみなかったです。ビバ・自己満足☆

 

いろいろ人生の節目にいる気がするので、頭のなかの整理も兼ねて自分のモットーの『人生は"アイドル"だ』をもうちょっと、こねくり回したいと思います。

 

見返してもこのときの自分の心境を俯瞰できるようにするために、当初のモットーとモットーにちょっと詰め込みたい意図を増やした2021年版にわけてみました。

 

 

 

思いつき当初

(↓うっといくらいの再掲)

17-wwannanext.hatenadiary.com

 

2018年にはじめてこのモットーを思いついた時は「やりたいこと/求められること」のバランスを自分でとることが精神安定を保つうえでめちゃくちゃ必要でした。

知ってる人は知ってると勝手に思っているのですが、これを書いたときのこじまは本来なら引退していた仕事を半ば押し付けられていた時期です。

組織としての努力を怠っていた節はあったので、いろんな貯蓄(主に人材)がついにわたしの代で崩壊したって感じです。

 

別に誰が悪いってわけではないんですが、2回生のときに人がこまめに「チェックしてください」と修正いれるたびにアップロードしていた企画書や資料をろくに前日までチェックもせずにSNSでご丁寧に遊んでいる報告を複数してくれているなかで、企画当日にあれがないこれがないとか進行もドタバタしてしまい「仕事がなってない」みたいなことを企画後にダメ出しされたときに「わたしもやりようがあったかもだけど、おまえらが報・連・相を他人に説くなや!!このっ…◎△$♪×¥●&%#?!」と心底キレそうになった(キレた)ときから組織としてヤベェ感じはありました。

繰り返しますが、別に組織の崩壊については誰が悪いってわけではないんです。(大事なことなので)

もちろん、わたしも悪い。

 

たぶん放り投げてもよかったんだと思うんですけどね、この頃の"仕事"って。

自分の人生を保証してくれるものでもなかったですし。

まぁ、あくまでもそれを"学生のお遊び"とするならですけど。(ここで謎のプロ意識の発揮)

 

おかげさまで、組織ごちゃごちゃ以降しんどくなると下まぶたが痙攣する癖がついたので、休息の目安にしています。それほどにはしんどかったです。笑

 

そういう組織やばそう期~ごちゃごちゃ期はたくさんの人のおかげで自分の精神も仕事内容も保たれていたという感覚が強かったので、わたし1人で窮地を乗り切ったと美化するのは違うなと。

あとは組織のことだけでなく、進学に関しても他人に支えてもらったので高く登るための梯子をたしかに直接かけ登ったのは自分だけど、その梯子をかけてくれた人がたくさんいると思いました。

だからこそ「自分は主役で誰かの裏方」を忘れちゃいけないと自分に言い聞かせたいなと考えました。

 

ここまでが2018年の『人生は"アイドル"だ』を思いついた当初にこめていたものです。

 

2021年版『人生は"アイドル"だ』

それでは2021年の追加要素をまとめていこうと思います。

まずは「この景色、この一瞬のためになら何でも懸けられる」です。

 

本職アイドルたちは会場を埋め尽くすペンライトをみた瞬間や自分に向けられるお客さんの歓声を聞いた瞬間の気持ちを「ここまでの努力も、辛かったこともどうでもよくなる」とか「全部が報われたと思える」というように述べています。

 

それに近い感覚がわたしにもあります。

企画だったり論文だったりの作業のなかで「どうして辛い思いしてこんなことしないといけないんだ」とか「もうやめたい」といった感情がよぎります。

けれども、そんな感情を「他人の価値観が変わる瞬間の表情」や「新しい何かをみつけたときにぶわわーっと湧き上がる感情」は吹き飛ばしてくれます。

 

この「他人の価値観が変わる瞬間の表情」はなんて文字で伝えればいいんですかね。いうなれば"はっ"とする顔ですかね。笑

 

自分が関わった何かや作った何かが人に影響を与えたその一瞬を感じ取れたなら何時間もかけた作業もしんどい思いも報われたと感じます。

 

そうした表情をみたときや、知らなかった何かに出会うときに鳥肌が立つような感情が「新しい何かをみつけたときにぶわわーっと湧き上がる感情」です。

 

もうこの刹那的な経験を味わいたいことだけがすべての原動力です。

なんだって無駄じゃなかったと、すべてはこのためだったと肯定できるくらいのパワーがそこにはあります。

本当に「やめたい」と泣きながら、報われる瞬間のためだけに手は動いてる。(ある種のホラーか?)

 

つぎに「自分は何ができるのかを考え続ける」

これは「求められること」にも繋がることなのですが、「求められること」って自分では思ってもみなかったことだったりします。

自分ができると思っていなかったことを期待されることって嬉しいんですけど、準備運動ができていないことが多くて、すぐに「やりたいこと」に変換できなかったりで行動までにラグができてしまうんです。

「やりたいこと/求められること」の相互変換をスムーズにするために「自分は何ができるのか考え続ける」ことが必要かなって考えました。

自分ができることって不変でも普遍でもないので、「できることはこれ!」みたいなリストアップ形式よりも、もっと流動性の高い"考える"状態で自分の中でたゆたうくらいにしておくと自分のできることがわかってくるし、増えるかなと思います。

 

これは逆に「自分は何ができないのか」も然りです。

自分の引き出しは多いにこしたことはないですしね!

 

そして「わたしの渇望は"選ばれること"だということを忘れない」

そもそも"アイドル"って誰でもなれるではないです。

なりたくても"アイドル"になれない人もたくさんいます。

そしたら、どんな人が"アイドル"かというと誰かに「あなたがいい」と選ばれ続けた人だとこじまは考えます。

デビューするまでも、デビューしてからでも"アイドル"を続けるなら永遠に問われる続ける日々です。

 

けれども、ずっと篩に掛けられる立場だということを意識しすぎると疲弊してしまうなと。

 

じゃあ、どうしたらあんまり疲れないかを考えてみました。

<"選ばれる"こと≒認められること≒やりたいこと>

という具合にあえて単純な図式を根っこに刷り込めば意外とすんなりいきそうな気がしました。

 

純粋で単純で幼稚な「ずっと『わたしがいい』と言われ続けたい」という渇望を忘れさえいなければ、どんな努力をすればいいかわからなくても努力自体はできるかなって。

 

最後に「出会えてよかったと思われる存在でいたい」です。

やっぱり「他人のいい記憶のなかにいたいな」という気持ちからこれを『人生は"アイドル"だ』に込めました。

 

これは図書館バイトでお世話になった方に「娘にはこじまさんのように育って欲しいなって思う」と言ってもらえたことがすごく大きいです。

そんなことをいっていただけるほど、自分の実体はそんなにできた存在じゃないとしてもその方には「出会った後悔」よりも「出会えてよかった」が大きかったんだと感じ、とても嬉しくなりました。

 

たとえ出会う人全員にそう思ってもらえることは難しいとしても、そんな存在になれるように心がけていきたいです。

 

それに"アイドル"は笑顔をみせるんじゃなくて、笑顔にするための存在だって某スクールアイドルも言ってました。(そんなわたしはことりちゃん推し)

ようは「生きてることがわたしへのファンサ」と思ってもらえるような人間になりたいなと。笑

 

さて、このパワーアップ(?)した『人生は"アイドル"だ』をモットーにまた日々過ごしていこうと思います。

 

それでは!