こじまのかべ打ち

こじまが話したいことを書き書きしてます。

わたしは灯になりたい

こんにちは。こじまです。

 

ぽちぽちと適正検査をしていると答えに迷う瞬間がたびたびあります。

 

素直に答えていても、「さっきはAっぽいと答えたけど今度はBっぽい」みたいなことばかりでなんだか自分のなかで「なんか矛盾してない!?」となります。(素直に答えているのに人格乖離している人みたいな結果になったらどうしよう…)

 

そうすると "わたし"はいろんな要素でできているなぁーとしみじみと感じます。(そして今は会社が求める要素が表層化されることを願います。切実です)

 

さてさて、わたしが大切にしている作品にこういうセリフがあります。

 

僕はもう あのさそりのやうに ほんたうに みんなの幸のためならば 僕のからだなんか 百ぺんやいても かまはない。

  

"自己犠牲"とまで重たいものではないんですが、なんというか

"愛は惜しみなく与う"というか。(言い換えても結局重かった。いや、ほんともうちょっと軽めの言葉で説明したい)

 

わたしは『相手が楽しそうにしている表情や笑顔』や『新しい発見をしたときの「おっ!」という表情』が好きで、それを達成するための手段を用いて努力するという方程式に当てはめています。

 

つまりは

 

Y(好き) = こじまの努力 × X(手段)

 

のような方程式です。笑

 

Xは変数なので基本的になんでも入る可能性があります。

そこが映画だったり、音楽だったり、本だったり、人だったり。

とにかく、わたしの努力を増幅させるものはなんでも入ります。笑

 

Yも変数なので"好き"もたくさんのものが入ります。

今回は上記の好きについてですが、答えは1つではないということです。

 

毎日の自分の努力は自分のためであって、それと同時に誰かのために努力をする。

 

そしてわたしにとっては、そのたくさんのXの一つに

"自分が笑顔でいること"があるんです。

 

「誰かが笑顔でいれるためなら、わたしは頑張れる」

こう表現するのが一番近いですかね…

 

うーん、やっぱり表現するのが難しいですね。

 

そうはいっても、わたしはロボットではないので気分の上がり下がりは当たり前です。

けれども結局は笑顔でいることに努めます。

 

そのほうが"うまくいくこと"も多いですし、

それにわたしは自分のまわりにいる人が笑っているほうが好きです。

 

ほら、むすっとした顔の人がやってる企画に笑顔で参加する人がいることってあまりないじゃないですか。もしあるならどんな企画ですかね。笑

 

やっぱり作った企画に参加してもらうなら、笑顔で何かを見つけてお家に帰ってもらいたいです。

 

会議のなかでバチバチしても、そのあとのお茶はおいしく飲みたいです。

 

あ!笑顔笑顔いってますが、自分の気持ちを裏切るような笑顔はしないようにしているのでご安心を!

わたしが笑っているときはちゃんと"たのしい"、"おもしろい"って思っています。

 

こじま、そんな作り笑いができるほど器用じゃありません!

むしろ表情にいろいろでやすいです!バレバレです!笑

 

誰かのために何かをするのなら

 

太陽のように"すべて"を照らしたい。

キャンプファイアーのように中心で誰かを引きつけていたい。

 

そう思っていた時期もあります。

 

ですが今は正直、ランプの灯になりたいです。

 

手元しか照らせないけれども

そこは確かに明るくて、そこは確かに温かい。

 

誰かにとって"ほこほこ"した気分になれる人になりたいです。

 

それだけです。本当にただそれだけ。

自分のなりたいがあるだけ。その道をずっと歩いているだけ。

なので、最近はこういう"好き"を仕事にするのもいいなって思います。

 

でもこういう"好き"はいわゆる「やりがい搾取」の餌食にもなりやすいという危うさも秘めている気がします。

世の中は等価交換で成り立っていて、"好き"の尺度はなかなか数量的に測れないからそれに見合う対価も推し量ることがきっと難しいんですね。

 

パンクしないようにもほどほどがいいですね。

 

それでは!

 

 ああっ、ES書かないと…