こじまのかべ打ち

こじまが話したいことを書き書きしてます。

院よさらば

こんにちは。こじまです。

 

引越しやら某国家公務員バイトとかしてたら2月が消え、3月までもが消えそうです。

もはや来週には4月というバグまで起きています。

 

そして先日こじま無事に大学院を修了しました!ワーイ

最後の1ヶ月に5万字を錬成したこじまもなんとか修了できました。

 

つまりは大学院にいってから研究分野を変えても

高校まで理系でも

社会科目は地理しかやってこなくても

歴史分野の修士論文は書ける!

修士号は取れる!!

夢は叶う!!!(?)

という一応の証明ができました。

 

大学院生活の前段階にあたる入試から振り返ってみても、こんなんでよく大学院修了できたなとしみじみ思います。

「お前、この大学院の入試落ちたらプー太郎やで」みたいな感じで進学することにし、およそ2ヶ月漬けで今の研究分野の概要を入れ込むみたいな博打打ちから大学院生活が始まってますしね。

(正直、入試論題のうちの書かなかった「〇〇主義について~」のほうは入試時点で言葉は本で字面はみたけどさっぱりわからん状態だったので速攻で書くのを諦めたことをここに告白します)

 

入試から修了するまで就活も含め全くもって誰の参考にもならない大学院生活すぎて後輩には申し訳ないかぎりです。笑

 

さて学部時代は専門っていうのがかっちり決まっていなかったので、大学院ではじめて専門的なことやってんなーと自覚しました。

本当に学ぶことが多く、毎日「なんだよそれ!?知らねーよ!!!」みたいなことを心で叫んでいました。

修士論文を書きながらも「誰だよ!?こんな研究考えたの!?!?わたしだよ!!!アホちゃうか!!!」と自分を恨みながらキーボードを叩いていました。

 

そんなあっという間の歴史分野での修士課程のなかで気づいたことは

歴史分野の研究って世の中の"余白"を拡げるもの

だということです。

 

この"余白"っていうのは世の中がもっと良くなるために必要な新しい価値観とかが入り込むスペースというか"ゆとり"みたいなイメージです。

 

歴史研究ってそうした"余白"を拡げていくことが得意な学術領域だなと。

そういう性質のある歴史研究はなおさら上澄みだけさらうと象牙の塔に見える気がします。

だって"余白"を作ったって、それはまだこれから使うスペースを作っただけで、すぐには使わない、いつ使うかわからない部分なので一見、無価値で無意味に感じますもんね。

けれども"余白"がないと新しくそこに何も書き込めないし、書き直せないじゃないですか。

 

だから歴史研究は象牙の塔のままでいいんじゃないかなとわたしは思います。

でも、"歴史"を研究する意味を考えることは大事な気がします。

まぁ、象牙の塔でいいって言ってますが誰かに「歴史は不必要!無価値!」とか揶揄されたらキレますけどね。笑

 

それと研究というレベルまでのことをしなくても、何かの"歴史"を咀嚼して飲み込むことは個人にとっての"余白"を拡げることに繋がっていることにも最近、実感が湧きました。

 

それを感じたのは最近、こじまがハマっているSnowManというグループの"歴史"を辿ったときです。彼らの"歴史"を追えば追うほどめちゃめちゃ自分のなかに組み込みたくなります。

 

彼らの楽曲や動画など数あるコンテンツのなかでも、特に1万字インタビューが彼らのパーソナルに近い"歴史"を知ることができるものがあります。

1万字インタビューとはメンバーそれぞれがデビューするまでの自分の幼少期はどんな人物だったのか、何がきっかけで事務所に所属したのか、下積みでどういう経験をしてきたのか、どういうことを感じたのかを個人で回想する雑誌企画です。

ようは、これまでのアイドル活動を軸に記す個人史みたいなものです。

 

 

例えば元々6人グループだったSnowManが9人グループになることが決まったときについて、とあるメンバーがこう語っていました。

「ここまで作り上げたものを一度壊す怖さは正直ありました。ファン、メンバー、みんなが心地いい空間ができあがっていたから。でも、だからこそ変化を求めていました。6人でいると最高かよって思った。同時にここがマックスになるかもしれない怖さみたいなものもあったから。常に進化したいし成長したい。(後略)」

 Myojo 2021年4月号「SixTONESSnowMan 10000字インタビュー 僕がJr.だったころ 第10回:佐久間大介」177-178頁

 

これを読んでわたしは「今が最高!」って瞬間から上を望まなかったのなら現状維持か落ちるだけなんだなというのと、「今が最高!」だと思う環境を「売れているのか」の尺度で考えるとどうなのかといったような自分の立場を俯瞰することを改めて学びました。

それとこれから会社員生活をして、学術の環境からからあえて離れるのも一つの手段だと思えるようになりました。

(あとこういうニュアンスの話、経営学の授業で聞いたことある!って感じです。なんだっけな〜組織論だっけな〜)

 

また、ほかのメンバーがとある収録で「自分はいらない」というのを聞いてしまってからやめたいと思ったときについての回想を以下のようにしています。

「(前略)特に選ばれた4人は、かなり大きく映るシーンがあった。MV用のダンスレッスン中、その4人を誰にするか振りつけ師さんたちが話し合ってて。(中略)そしたら聞こえちゃったんですよね。"目黒はいいや。いらない"って。プロの世界なんで当然といえば当然で。当時の僕は選ばれるに値しなかったってだけの話なんですけど、その一言で心が折れた。(中略)家に帰ってそのまま両親にボロボロ泣きながら"辞める"って伝えて。そしたら即答で、"辞めな"って言われた。"そんなになるほどがんばったんだ。辞めればいいよ"って。少しは引き止められるかなって思ったのに1ミリもそんなことなくて、逆に冷静になったというか。悔しいまま終わったら、いつか今一緒に活動しているJr.がテレビに出るのを見たら、そのたびにこの悔しい気持ちを思い出すんだろうなって。なんか妙に冷静になって、自分で辞めたいって切り出したくせに、"もう少しだけやってみる"って」

Myojo 2021年3月号「SixTONESSnowMan 10000字インタビュー 僕がJr.だったころ 第9回:目黒蓮」187頁

ここを読んで「 これ、前にブログで書いた『ハイキュー!!』のときの感情に似てる!!」となり、この考えの実践は経験として活きると感じることができました。

17-wwannanext.hatenadiary.com

  

こんな感じで1万字インタビューというエンタメ企画の個人史を辿るだけでも「こうしてみよう」とか「こう考えてみよう」と自分の中身が組み変わり、そこで自分の"余白"の拡がりを感じます。

 

ここで挙げたのはちょっと暗い(?)内容を抜き出しましたが、1万字インタビューの内容はもっとポジティブなことも書いてます。なんたてったって1万字。

 

まったくもっての余談ですが、これを読みたいがために人生ではじめてMyojoを買いました。そして、1万字インタビュー以外の特集をほぼ読んでいません。笑

Myojoって大学図書館はおろか公立図書館にも置いてなくて、ハマる以前のバックナンバーに掲載されたメンバーのインタビューは国会図書館に行かないと読めないというのも最近知りました。

今度、国会図書館でバックナンバーを複写してこようと思います。笑

 

そんなこんなで歴史研究がたくさんの人が辿るための"歴史"っていう道を作る気がします。

 

そんでもって別に同じ"歴史"を辿っても、その道を「しんどい」って思っても「楽ちん」と思っても、それとも全然違う感想をいいと構わないと思います。

むしろ全然違う印象・感想がでてくるからこそ、それを各々が飲み込んだり、発散したり、共有したりを繰り返して世の中の"余白"は拡がっていくのではないでしょうか。

 

ここまでくどくど書きましたが、結局のところわたしが大学院での研究や学びのなかでみつけたことはこの世の中に"歴史"のないものなんて存在しないので、捉え方次第で"歴史"とはいつでも自分の"余白"を拡げてくれるだけでなく、考えの埋め込みも編纂も自由にできる万能ツールだということですかね。

 

正直なところ、これくらいしか2年間ではわからなかったです!

うーむ!まだまだいろいろ知りたいし、深掘りしていきたいものです!

 

こじまはいったんは学術の場から離れますが、視点を変えれば毎日は"研究"なのでこれからも考えて日々生きていこうと思います。

 

早くキャンパスに誰でも入れるようになってくれないと遊びにも行けないですしね。笑

 

それでは! 

 

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逆光の写真意外と好きなんすっ。