こじまのかべ打ち

こじまが話したいことを書き書きしてます。

それでも街は生きている

こんにちは。こじまです。

 

寒くなったりぽかぽかしたりでちょっぴり疲れる2月です。

まさに三寒四温って感じの気候になってきました。

 

東京での次の家が決まりました。どこにでも行ける街に住むことにしました。

部屋自体はもちろん大事なんですけど、街も大事にしました。

 

わたしは街って生きものだと思っていて、やっぱり合わないとしんどくなるなと思ったので街選びを結構時間をかけて考えました。

 

結果的にまた大学が近くにある街になりました。

たぶんそういう街が好きなんだと思います。

 

大学院進学のときは入試時点で初めてあの街に降り立ったときに「あ、ここは合う。たぶん住むぞ」と直感的に感じたので何も迷いませんでした。

 

あの街をわたしはずっと"平たい地元"と呼んでいます。笑

南北に移動していくと街の空気感が変わるところや、大学がある街のなかでも特に雰囲気が似ているなと。

駅をはさんで街がガラッと変わるのは地元の山をはさんだ街の風景の変わり方に似ていてすごくおもしろいです。

 

ただあの街は地元に比べるとちょっと排他的だなって感じます。

同じ属の生きものに分類できるけど種が違うみたいな。

 

やっぱり街は生きものでその雰囲気を感じるのは楽しいです。

いろんな断片が街には溢れているのを歩きながら感じるのはたくさんの発見があります。住むのと訪れるのとでは雰囲気が違ったりとか。

 

街は生きものだからこそ、人の思うように育ってくれたりはしないんですよね。

でも、それがたぶん最も人をしんどくして、最もわくわくさせるところだとこじまは思います。

 

だからなのか、わたしのカメラロールは街の写真ばっかりな気がします。

 

ここ最近は人に会うことも少ないので余計かもしれません。

今は特に大きな街にいることが多いのでビルの写真が多いです。

 

f:id:u_w_wanna-next:20210223125218j:plain梅田の朝。

f:id:u_w_wanna-next:20210223125205j:plain東京駅の新幹線のホーム。

 

以下、なんとなく白黒にしてみた編です。

f:id:u_w_wanna-next:20210223125246j:plain裏門を閉められたからこそ何度も歩いた道。

f:id:u_w_wanna-next:20210223125159j:plainたぶん肥後橋とかその辺のどっか。

f:id:u_w_wanna-next:20210223125827j:plainこれもたぶん肥後橋周辺。

f:id:u_w_wanna-next:20210223125152j:plainなんか電線がいいなって思ったとこ。

 

これらの写真をみていると自分の好きな構図がよくわかりますね。笑

 

それでは! 

 

いつか一緒に輝いて

こんにちは。こじまです。

 

2月です。人生で初めて髪を染めました。

はじめはこのことをまとめようと思ったのですが、ちょっとまた寝かせておきます。

 

某委員会の某会長の某発言について思うところがあったので、先にこれを書くことにしました。

発言そのものに対しての率直な感想としては「まぁ、そう思われていることなんて今さらだよね」です。

あとはその発言に対しての批判や意見をニュースから拾っていくと、ちょっとズレているんじゃないかなと思うことが多々あります。「いや性的指向の話は今はちょっと違くね?」みたいな。

 

なんでもかんでも男性・女性という同じ言葉を使うからあっちこっちに話や問題が錯綜している気がしなくもないです。

 

それぞれの発言や意見に言及することはしませんが、この一連の出来事に対して言いたいこととしては

 

「『少女革命ウテナ』観よか?」です。笑

 

Wikipediaによる『少女革命ウテナ』のあらすじはこんな感じです。

幼い頃に自分を助けてくれた王子様に憧れ、自分も王子様になりたいと願うようになった少女・天上ウテナは、入学した鳳学園で「薔薇の花嫁」と呼ばれる少女・姫宮アンシーと出会う。エンゲージした者に「永遠」に至る「世界を革命する力」を与えるという「薔薇の花嫁」をかけて戦い続ける生徒会役員(デュエリスト)たちは、ウテナがかつて王子様から貰った指輪と同じ「薔薇の刻印」と呼ばれる指輪を持っていた。ウテナもまたこの決闘ゲームに巻き込まれ、その背後にある「世界の果て」へと迫っていく…。

1〜13話が生徒会編、14〜24話が黒薔薇編、25〜33話が鳳暁生編、34〜39話が黙示録編。

 

ja.wikipedia.org

第1話 薔薇の花嫁

第1話 薔薇の花嫁

  • メディア: Prime Video
 

 39話とちょっと長めの話数ですが、全話アマプラで観れます。

 

さて、わたしがはじめてこのアニメをケーブルテレビで観たのはたしか3,4歳の頃なのですが、アニメ最終回でのとあるセリフに頭を殴られたのを覚えています。今の自分にとってもかなりガツーンとくるセリフです。

 

そのセリフとはラスボスがウテナにむけて言った

君には無理だ。
君は女の子じゃないか。
それに力もない。

力があればなんでも出来る。

彼女を運命から解放することもできる。

ラスボスからウテナ"女の子"だから王子様にはなれない、つまりはお姫様であるアンシーを救えないと断言されてしまうのです。

そして救われる側とされるアンシーは「自分はお姫様なのだから」が基本的な行動規範となっています。

 

文字で説明するのも野暮なので、今回の某会長の発言に関心がある人は少しでもいいからアニメだからと馬鹿にしないで一度観て、何か考えてもらったらなと思います。

 

でもまぁ、『少女革命ウテナ』は初見はわけわかめアニメかつめちゃくちゃ人を選ぶ作品です。笑

個人的には黙示録編が肝なんですけど、そこに至るまでの話が絶妙に飛ばせないのでとりあえずは通しで観て欲しいです。

 

これがおよそ25年前に制作されていたのはかなり挑戦的だな〜って今でも思います。

幼少期のこじまにとってはいろいろ衝撃的な作品でした。

 

ジェンダー関連の話題があちこちで起きるなかで毎度わたしは「頼む……とりあえずウテナ観てくれ……」と心で思わなくもないです。笑

 

タイトルの"革命"って一体どういう意味なんでしょうかね。

最後に劇中のなかで好きなセリフの一つを載せて終わります。

 

卵の殻を破らねば、雛鳥は生まれずに死んでいく…

我らは雛、卵は世界だ。

世界の殻を破らねば、我々は生まれずに死んでいく。

世界の殻を破壊せよ 。

 

なんかヘルマンヘッセもどっかで似たようなこと書いてた気がします。

 

それでは!

いつも心に"アイドル"を

こんにちは。こじまです。

 

2月です。もはや2021年のうち1ヶ月が終わってしまいました。なんてこったです。

そして提出したレジュメの誤字脱字がひどすぎて「なぜ読み返したときに気がつかなかったのか」と過去の自分を殴りたい衝動に駆られています。

 

さて、そんなこんなで「かべ打ちブログ」を書き始めて3年が経ちました。

こんなにも壁打ちを続けられるなんて思ってもみなかったです。ビバ・自己満足☆

 

いろいろ人生の節目にいる気がするので、頭のなかの整理も兼ねて自分のモットーの『人生は"アイドル"だ』をもうちょっと、こねくり回したいと思います。

 

見返してもこのときの自分の心境を俯瞰できるようにするために、当初のモットーとモットーにちょっと詰め込みたい意図を増やした2021年版にわけてみました。

 

 

 

思いつき当初

(↓うっといくらいの再掲)

17-wwannanext.hatenadiary.com

 

2018年にはじめてこのモットーを思いついた時は「やりたいこと/求められること」のバランスを自分でとることが精神安定を保つうえでめちゃくちゃ必要でした。

知ってる人は知ってると勝手に思っているのですが、これを書いたときのこじまは本来なら引退していた仕事を半ば押し付けられていた時期です。

組織としての努力を怠っていた節はあったので、いろんな貯蓄(主に人材)がついにわたしの代で崩壊したって感じです。

 

別に誰が悪いってわけではないんですが、2回生のときに人がこまめに「チェックしてください」と修正いれるたびにアップロードしていた企画書や資料をろくに前日までチェックもせずにSNSでご丁寧に遊んでいる報告を複数してくれているなかで、企画当日にあれがないこれがないとか進行もドタバタしてしまい「仕事がなってない」みたいなことを企画後にダメ出しされたときに「わたしもやりようがあったかもだけど、おまえらが報・連・相を他人に説くなや!!このっ…◎△$♪×¥●&%#?!」と心底キレそうになった(キレた)ときから組織としてヤベェ感じはありました。

繰り返しますが、別に組織の崩壊については誰が悪いってわけではないんです。(大事なことなので)

もちろん、わたしも悪い。

 

たぶん放り投げてもよかったんだと思うんですけどね、この頃の"仕事"って。

自分の人生を保証してくれるものでもなかったですし。

まぁ、あくまでもそれを"学生のお遊び"とするならですけど。(ここで謎のプロ意識の発揮)

 

おかげさまで、組織ごちゃごちゃ以降しんどくなると下まぶたが痙攣する癖がついたので、休息の目安にしています。それほどにはしんどかったです。笑

 

そういう組織やばそう期~ごちゃごちゃ期はたくさんの人のおかげで自分の精神も仕事内容も保たれていたという感覚が強かったので、わたし1人で窮地を乗り切ったと美化するのは違うなと。

あとは組織のことだけでなく、進学に関しても他人に支えてもらったので高く登るための梯子をたしかに直接かけ登ったのは自分だけど、その梯子をかけてくれた人がたくさんいると思いました。

だからこそ「自分は主役で誰かの裏方」を忘れちゃいけないと自分に言い聞かせたいなと考えました。

 

ここまでが2018年の『人生は"アイドル"だ』を思いついた当初にこめていたものです。

 

2021年版『人生は"アイドル"だ』

それでは2021年の追加要素をまとめていこうと思います。

まずは「この景色、この一瞬のためになら何でも懸けられる」です。

 

本職アイドルたちは会場を埋め尽くすペンライトをみた瞬間や自分に向けられるお客さんの歓声を聞いた瞬間の気持ちを「ここまでの努力も、辛かったこともどうでもよくなる」とか「全部が報われたと思える」というように述べています。

 

それに近い感覚がわたしにもあります。

企画だったり論文だったりの作業のなかで「どうして辛い思いしてこんなことしないといけないんだ」とか「もうやめたい」といった感情がよぎります。

けれども、そんな感情を「他人の価値観が変わる瞬間の表情」や「新しい何かをみつけたときにぶわわーっと湧き上がる感情」は吹き飛ばしてくれます。

 

この「他人の価値観が変わる瞬間の表情」はなんて文字で伝えればいいんですかね。いうなれば"はっ"とする顔ですかね。笑

 

自分が関わった何かや作った何かが人に影響を与えたその一瞬を感じ取れたなら何時間もかけた作業もしんどい思いも報われたと感じます。

 

そうした表情をみたときや、知らなかった何かに出会うときに鳥肌が立つような感情が「新しい何かをみつけたときにぶわわーっと湧き上がる感情」です。

 

もうこの刹那的な経験を味わいたいことだけがすべての原動力です。

なんだって無駄じゃなかったと、すべてはこのためだったと肯定できるくらいのパワーがそこにはあります。

本当に「やめたい」と泣きながら、報われる瞬間のためだけに手は動いてる。(ある種のホラーか?)

 

つぎに「自分は何ができるのかを考え続ける」

これは「求められること」にも繋がることなのですが、「求められること」って自分では思ってもみなかったことだったりします。

自分ができると思っていなかったことを期待されることって嬉しいんですけど、準備運動ができていないことが多くて、すぐに「やりたいこと」に変換できなかったりで行動までにラグができてしまうんです。

「やりたいこと/求められること」の相互変換をスムーズにするために「自分は何ができるのか考え続ける」ことが必要かなって考えました。

自分ができることって不変でも普遍でもないので、「できることはこれ!」みたいなリストアップ形式よりも、もっと流動性の高い"考える"状態で自分の中でたゆたうくらいにしておくと自分のできることがわかってくるし、増えるかなと思います。

 

これは逆に「自分は何ができないのか」も然りです。

自分の引き出しは多いにこしたことはないですしね!

 

そして「わたしの渇望は"選ばれること"だということを忘れない」

そもそも"アイドル"って誰でもなれるではないです。

なりたくても"アイドル"になれない人もたくさんいます。

そしたら、どんな人が"アイドル"かというと誰かに「あなたがいい」と選ばれ続けた人だとこじまは考えます。

デビューするまでも、デビューしてからでも"アイドル"を続けるなら永遠に問われる続ける日々です。

 

けれども、ずっと篩に掛けられる立場だということを意識しすぎると疲弊してしまうなと。

 

じゃあ、どうしたらあんまり疲れないかを考えてみました。

<"選ばれる"こと≒認められること≒やりたいこと>

という具合にあえて単純な図式を根っこに刷り込めば意外とすんなりいきそうな気がしました。

 

純粋で単純で幼稚な「ずっと『わたしがいい』と言われ続けたい」という渇望を忘れさえいなければ、どんな努力をすればいいかわからなくても努力自体はできるかなって。

 

最後に「出会えてよかったと思われる存在でいたい」です。

やっぱり「他人のいい記憶のなかにいたいな」という気持ちからこれを『人生は"アイドル"だ』に込めました。

 

これは図書館バイトでお世話になった方に「娘にはこじまさんのように育って欲しいなって思う」と言ってもらえたことがすごく大きいです。

そんなことをいっていただけるほど、自分の実体はそんなにできた存在じゃないとしてもその方には「出会った後悔」よりも「出会えてよかった」が大きかったんだと感じ、とても嬉しくなりました。

 

たとえ出会う人全員にそう思ってもらえることは難しいとしても、そんな存在になれるように心がけていきたいです。

 

それに"アイドル"は笑顔をみせるんじゃなくて、笑顔にするための存在だって某スクールアイドルも言ってました。(そんなわたしはことりちゃん推し)

ようは「生きてることがわたしへのファンサ」と思ってもらえるような人間になりたいなと。笑

 

さて、このパワーアップ(?)した『人生は"アイドル"だ』をモットーにまた日々過ごしていこうと思います。

 

それでは!

 

 

なんでもってアイドル

こんにちは。こじまです。

 

今年も平日9:00-17:00バイトの季節になりました。

なので一区切りついたはずなのになんかドタバタしてます。やはりわたしは回遊魚。

 

さて、いつぞやのブログで人生で初めて某ジャニーズグループにハマっているということを書きました。

それはもうハマるきっかけを作ってくれた友達ですらびっくりするほどのズブズブ具合です。狂ったように曲を聴き、狂ったように動画を観てます。

彼らがいなかったらわたしはきっと修士論文を書き上げられなかったと思うくらいに12月下旬のわたしの心に刺さりました。それを今も継続中という感じです。

 

でもまぁ、個人的にはハマる時は大抵こんな感じなのでさほど驚いてません。

毎日3食とも青椒肉絲でOKみたいな生活をハマるとすぐにこじまはします。笑

 

何かにハマるときには何かしらの理由があると思っているので、ひとまず書くもの書いたのでここでちょっと真面目に考えてみることにしました。

 

こじまが男性アイドルが好きな理由はなによりもほかのコンテンツにはない物語性にあると思います。

 

正直なところ、だいたいの男性アイドルたちをみて「知り合いにいそう」という印象を抱くので、あまり「きゃー!かっこいいー!」は思わないです。

 

いや、本当に慣れって怖いですね!笑

(この気持ちを中高時代の友人・知人たちはきっとわかってくれるはずだと信じている)

 

MV・PVは作品なので個々人のビジュアルに対してとはちょっとまた違う"かっこいい"はあります。

 

なぜこんなにも惹かれるのかをビジュアル的要素を除いて考えると音楽性の好みはもちろんありますが、なによりもアイドルが提供してくれる物語だと思います。

つまりは"アイドルは限りなくリアルな紡ぎ手によるフィクション" であり、そのなかで好みの物語を読んでいる感覚です。

 

女性アイドルじゃなくて、男性アイドルが好きというのも自分の好きな物語展開だからこそだと思います。

 

男性が自分にとっての異性であるという理由はもちろん少なからずあるだろうけれども、男性アイドルが提示する物語は<やりたいことのための努力を「努力している」と堂々と主張することを肯定してくれる>から好きなんだと思います。

 

ようは"努力しすぎるお前は痛い奴だ"なんていう人がいない物語がわたしは好きなんです。

 

ただ、たとえ努力を積み重ねても少しでも受け手にとって気に食わないことがあるとボロクソに言われる世界なのは「なんだかな」と思わなくもないです。

 「プロ意識がない」とか「努力が足りない」とかを言うファン(?)見かけると「じゃあ、あなたは普段からプロ意識持って生きとるんやな?他人の努力を批判するんねんから、自分もそれくらいの覚悟で生きとるんよな??せやんな???」と思ってしまいます。(口が悪い)

 

 

アイドルを小さい頃から好きだったわけじゃなくて、アイドルにハマったタイミングを考えると、大学生になってコミュニティが広がって自分の”普通”って、思ったよりもほかの人の”普通"と違うことが多いと気がついてしまったくらいですかね。笑

 

わたしはすぐ"頑張る"とか"努力"とかの言葉を使うけれども、人からすると私の"頑張る"は"すごい頑張る"に見えるわけで。

例えるなら車のエンジンをかけて、少しずつギアをあげるのがセオリーだけど、こじまはいきなり1速から5速くらいまでギアをひょいひょいっと上げられるみたいな感じです。それが良いか悪いかは別にして。

 

努力っていっても得手不得手もあるので、人それぞれなのは理解しています。

5努力して10できるときもあるし、100努力しても1しかできないこともままあります。

 

それでも、わたしはどんなことにも"努力すること"は"当たり前"だと思っていました。

わたしにとって0努力なんてあり得ませんでした。

 

この考え方はこじま家がオーバーに言えば「努力しない人間には人権はない」みたいな環境なことに由来する気がします。

たぶんこじま家は結果よりも努力したかどうか、最善を尽くしたかどうかのほうを重要視しています。

「やれるだけやったんか」「その努力の方向性は適切なのか」を問い続けられる日々です。笑

 

けれども集団のなかや組織のバランスをとろうとする時に、わたしが努力することは必ずしも良いことに繋がるわけではないです。

 

時々それがストレスでした。

「なんでそんな頑張るの?」みたいな視線は結構堪えます。

 

いろんなものをもっと良いものにしたいし、上に行きたい。

そのために殴り合いをする努力も必要で、妥協する努力も求められると考えます。

 

とにもかくにもどんな"努力"も重要だと思っていたなかで、"努力は痛い"みたいな価値観に結構あてられてしんどかった時にこじまは男性アイドルグループにハマりました。

 

男性アイドルグループの紡ぐ物語は努力することを自体を肯定してくれる気がしました。

それからというものの、人の人格を消費している罪深さを感じつつ、あっちこっちの物語を読み漁る。笑

 

あとはわたしが好きな男性アイドルグループの特徴としては群舞が上手なグループばっかりな気がします。

 

きっと"綺麗に揃っているけど個性が死なない"っていうのが刺さるポイントです。

いや、どんだけ自分の抱く集団に対する憧れと息苦しさをアイドルに投影しとんねん。笑

 

まぁなんというか、孤高にはなりきれないこじまがそうしたアイドルの物語を楽しむなかで、現実を生きていくために思いついたのが『人生は"アイドル"』です。

 

(↓これを書いたのがほぼ3年前になるなんて…そしてまだ書きたいのに書いてないことがいっぱい) 

17-wwannanext.hatenadiary.com

 

 他人が自分に求める"普通"と自分の捨てたくない"普通"のバランスを探して日々生きるって感じです。

ある意味自分が"普通"じゃないからたくさんの人からチャンスを貰えたとも思っています。

 

そして、これまで特定のモデルがいるわけではなくいろいろ混ざった<人生はアイドル>だったのですが、それを体現していると思われる人間をとあるグループに見つけてしまいました。

 

その人こそが、今こじまが狂っている某ジャニーズグループのメンバーです。 

 

ま、そんな初めてハマったジャニーズのグループはSnow Manっていうですけどね!

曲調もダンスもいい意味でわたしのジャニーズ系の概念をぶっ壊してくれました。

 

てか、もうすべてがわたしに刺さるんです。

楽曲の方向性や表現はもちろんなんですが、本当に物語が突き刺さる。

 

下積みが長くて、デビューした時点で多くのメンバーの年齢が20代後半なのも、もともとは6人だったのが9人になったのも、単純に6+3じゃないことも。

 

わたしが勝手に9人に対していろんな想いを重ねているだけなんですが、本当にいろんな媒体から彼らの物語の断片を見つけるたびに悶えています。

 

ずっと1人で勝手に引っかかってたことに対して

「あぁ、自分の辿ってきた道もちょっとは肯定してもいいんだな」

って思えました。

 

他人にはどう映っているかはわからないですが、人には人の地獄があるのです。

 

ちなみにお正月に公開されたこのMVをみて、こじまは論文を泣きながら書いていました。この曲を流して、ぎゃんぎゃん泣きながらキーボード叩いてた。(マジ)


Snow Man「ナミダの海を越えて行け」YouTube Ver.

 

でもまぁ、こんなにもズブズブになったのはロールモデルになった人とは別のメンバーがきっかけなのですけどね!

 

そしてSnow Manにハマってはじめて"エモい"と呼ばれる感情がわかった気がします。

さていろいろ書きたいのですが、長くなるので細かいことを書くのはまたにします!いつ書くかは知らん!ハハハッ

 

ここまで長々と書いてきましたが、最後にハマったきっかけのMVも貼っておきます。

ちなみにリボンつけてる衣装の人がわたしのロールモデルです。よければ探してください。笑

(サムネの衣装は別衣装)


Snow Man「D.D.」MV (YouTube ver.)

 

このMVを観直すと3分30秒のなかでその人がソロで映ってるのおそらく3秒くらいしかなかったです。

歌割りも基本ハモリかつ歌っていても引きの映像で、過激ファンが怒り狂うのもちょっとわかる気がします。

 

なんか友達に見せてもらったときに「こじまちゃんの動体視力www」「こじまちゃん、好きそう」って言われたり、先日退職したバイト先の社員さんに「わかる。こじまちゃん○○担*1っぽいわ」と言われたのを思い出して、いまさら自分でもジワジワきました。

 

最初にそのグループのMVを観してもらったときに「この人がかっこいい」と思った自分のシックスセンスを信じようと思います。笑

 

それでは!

*1:ジャニーズの界隈では特に好きな人がいると"○○くん担当"表現するらしいです。

おいしい関係

こんにちは。こじまです。

 

ぼちぼちとやることやって生きています。

それと引っ越すことが決まっているので諸々やってます。

そういう時に限っていろんな本をたくさん読みたくなるのは、なぜなのでしょうか。笑

 

さて、わたしは一人暮らしを始めて1年ちょいくらいのなかで、ほぼ毎日自炊生活をしてました。

自分が塩胡椒すら忘れる時もあるすさまじい薄味好き人間なのと、こじまめちゃくちゃに燃費が悪い。すごいときは1食でお米1合近く食べるときある。なので、自炊不可避でした。

本当に人とごはんに行く以外は何かしら作ってました。

平日に自炊する時間も元気もあるのは、学生の特権かもですね。

 

野菜が好物なのもあり、自炊するためにもおいしい野菜を求めて探して近所にみつけた八百屋さんがありまして。いや、野菜が野菜の味がするのってこじま的にすごく重要なんですよ。笑

 

みつけた八百屋さんは有機野菜のほかにもいろいろ食材があって、なんでも本当においしい。

その八百屋さんが夏頃から1週間ごとのおまかせセットの販売を始めたので、こじまはそれを秋口から利用してました。こんな感じにいろいろ入ってます。

f:id:u_w_wanna-next:20210119205405j:image

しかも、なんと1週間分がこんなにはいって税込1620円なんですよ!

毎食自炊するとして1日あたりおよそ231円!!

ここにスーパーで買った肉や魚、その他諸々追加して、多く見積もっても1日500円でいける!!!

 

献立も決めやすいし、自分じゃ選ばないものが入っていたりもするから楽しい!!!!

困ったらぶっこんで煮ればいい!!!!!

料理は素材8割・腕前2割!!!!!!

(※個人の意見です)

 

料理はたしかに手間なんですけど、そんなことはおいしいもの食べれるのなら些末な問題ですよ!!!!

ある意味、バイトもいつでもおいしいものを食べるためにしてんですよ!!!!笑

 

たしかに有機野菜で買うとエブリデイロープライスのスーパーで買うよりはやっぱり高いんですけど、食費削り過ぎて寝込んだり、病院にかかるなら食費にお金かけても結局トントンかなっていう発想です。あとは絶対に有機食材に関しては親の影響がすごいある。笑

 

まぁ、あとこういうことを考えている時に思い出すのは『銀の匙』ですね。(唐突)www.shogakukan.co.jp

 

ちなみに、その八百屋さんではわたしと同世代の人間をほぼ見ませんでした。

唯一、親につれられてきたちびっこ達くらいが八百屋さんでみかけたわたしより下の世代です。笑

(いろんな時間帯に買いに行ってたんですけど、それくらい若い人をお店でみかけることはなかった)

 

そういうこともあってか、ちょいちょいお店の人とおしゃべりすることが多かったです。「これどうやって食べるのがおすすめですか〜」から派生する野菜に関することの話はもちろん、ほかにも大学のことを話したり、社会情勢の話もしたり。笑

 

そんな仲良くしてもらったお店の人に「引っ越すんで、今週で野菜ボックスおしまいでも大丈夫ですか〜」と言うのが、めちゃめちゃに心苦しかったです。

 

なんか年が明けて「今年もよろしくお願いします」って言ったばっかりだったので余計にそう思いました。

 

わたしが「また買いに来ますね」なんて言ったら「ワイン飲む?」とお店の人に唐突に尋ねられました。わたしは「飲みます」と即答しました。嗜む程度にはお酒が好きなので。笑

 

すると「じゃあ、引越し祝いと就職祝いに」ってお店に置いてるワイン1本を餞別でいただいてしまいました。

 

うーん、このワインをもらった時の気持ちはなんて言えば良いんですかね。

八百屋さんに通って実質1年ちょっと、認知されてからは半年くらいの付き合いだったんですが、自分が思っている以上にお店の人に気に入ってもらってたんだなと嬉しいような、寂しいような気分になりました。

 

そして、たとえ1時間かけても買い出しに何週間に1回は行こうと心に誓いました。笑

まぁ、無理のない範囲内でですが。

 

この時期はいわゆる別れの季節ですが、やっぱりなんだか慣れないです。

次住む街でも何かしらの出会いがあればいいなと思います。

 

あー!それにしても寂しい!!寂しい!!!

この感情はどこにぶつけたらいいんですかね。笑

 

それでは!

 

大学入試

こんにちは。こじまです。

 

燃え尽きていようがなんだろうがやるべきことは迫ってくるので、おちおち燃え尽きてらんないよというのが本音です。はよレジュメとレポート作れや、自分。

 

今日から共通テスト(?)だったんですね。看板で知りました。

センター試験があった日ってなぜだかめちゃめちゃ寒いんで、なんだかこんなにポカポカしていると変な感じがします。てか、もうそんな時期なんですね。

 

センター試験といえば、わたし3回も受けたので懐かしさはひとしおです。笑

国語の「スピンアトップ・スピンアトップ・スピンスピンスピン」はたぶん一生忘れない。あんなにセンター国語で点数取れなかったのはあの時だけですよ。自己採点して「は?」ってなりました。

 

センター試験を2回はゴリゴリの理系で受けて、3回目は文系で受けました。

3回目を受けるまで社会科目は地理しかやってこなかったので、約1年で日本史を自学したのが懐かしいです。地理B・日本史Bセンター試験に臨むという謎スタイル。(ちゃんと両方8割超えたのを誰か褒めて欲しい。笑)

 

今はゴリゴリの文系大学院生ですし、巡り巡って今やってることが高校時代から、変わり過ぎているのでよく「お前、理系じゃなかった?」と久々に会う人にはよく言われます。

 

そう言われて時々「もしかして自分は妥協したのでは」と感じて勝手に傷つくのやめたい。ほんと劣等感レベルをもう少し下げたい。

 

まぁでも、2年遅れて大学に入らなかったら会わなかった人もたくさんいるし、できなかったこともたくさんあるし、今大学院にはいなかったと本気で思います。大学院楽しい!

努力でなんとかならないこともあることや、なんかうまくいくときは意味わからんくらいにスルスル進むというのも"受験"で知りました。「あー、人生ってそういうもんなんだな〜」みたいな。

 

結局のところなんでも「〜たら・〜れば」は思い浮かぶんですけど、「ここまでの道のりは自分の選択だった」と思うと"間違ってたこと"なんて全然ないです。全部自分の意志だと思うと恨む相手もそもそも自分だけしかいないわけですし。

 

もはや、やること為すことのすべてが意地。笑

燃やせるものは命くらいなので燃やしてなんぼです。

 

実際、こじまの親は「大学行け」とは一言も言ってないわけですし。わたしがどうしても大学に行きたかっただけ。

言われた記憶があるのは「勉強するのが好きなら大学行けば?」と「世間一般で言う"良い大学"に行ったら親としての通信簿は上がるけど、上がったところであんたの人生に関係ないしな」くらいです。(こじま親は大学に大学院、就職にも全然口出ししてこなかったけど、いろいろ心配はしてたと思ってはいる)

 

わたしが大学受験し続けた大きな理由はとにもかくにも"大学"に行きたかったのと、"賢い"人に会う確率が上げたかったからと、"考えること"が好きだったからという感じです。

 

なんかでも、こうして浪人ができたのは紛れもなく親の経済力のおかげではあるので、時々それを公言するのは難しいなと思うこともあります。別に大学行ったからといって自動的に賢くなったり、偉くなるわけでもないですし。学歴よりも何を考えて、何をするかのほうがわたしはずっと大事だと思います。

 

けれども、それをこじまが言っても本当に説得力がなくみえるから難しいです。

「でも結局お前は大卒じゃん?」みたいな。

 

なんていえばいいんですかね。

自分の周りが背景も歩んでいるキャリアもバラバラなのと、そもそも人生の価値基準なんて主観ですし、一概に優劣をつけれるものでもないじゃないですか。

自分を肯定するためにも「その選択をあなたが精一杯考えて、決めたこと自体が偉い!」みたいなのをわたしのスタンスにしているけれども、おそらく多くの"普通"は違うんじゃないかという気がします。

 

そういう意味でも中高時代からの友達は本当に尊いなと。笑

なんか母校、今は進学校化しているけどこじまがいるときはそういうわけじゃなかった。実験的で、すごい学校だったんだなと今更ながら感じています。(逆に社会の縮図すぎてアレなときもままあったけど。これ、前にどっかで書いた気がする)

 

せっかく(?)なので最後に"受験"というワードに似合いそうな好きな曲貼っつけておきます。

 

それでは!

 

youtu.be

これ進研ゼミのCM曲だったんですね。(記憶がない。笑)

 

 

 

図書館連想

こんにちは。こじまです。

 

そういえば、あけましておめでとうございます。

これを読まれている誰かさま、今年もこのかべ打ちをどうぞよろしくお願いいたします。

(前回2021年初の投稿だったにもかかわらず書き上げたフワフワ感のせいで、すっかり新年の挨拶を忘れていたので今さらですがしておきます笑)

 

ついに先日、なんとか修士論文を提出しました〜!わ〜!パチパチ!!

とりあえず一山越えたという感じです。今となっては幻のような時間でした。

 

毎日のように作業をしていたせいなのか書き上げてからすごく燃え尽きています。

朝8時には目が覚めて、そのまま布団に12時までくるまってる、なんともギルティな行いをしてしまいました。笑

やることはまだ諸々あるので、まずは心の赴くままにリハビリしながら早めに本調子を取り戻したいところです。

 

ということで、自室にずっといても寒いということもあり図書館内をぼへーっと彷徨っていました。

学部時代は図書館でバイトもしていたのでしょっちゅう彷徨っていたけど、こっちの図書館は全然遊んでないのでまだまだ新鮮です。

学部時代、配架の仕事の合間にぐるぐる回って、次に読むものの目星をつけていた日々が懐かしいです。

 

やっぱり図書館の性格が違うな〜と思いながら散歩(?)しました。

学部のキャンパスは蔵書が少ないとはいえ貴重書をよく開架に置いていたなとぼんやり思う午後。

 

それから、自分は雑誌コーナーが学部時代から好きだなと再認識しました。

久々に『月刊 廃棄物』の表紙みました。

なんだっけ、あの配架記号はJだけどタイトルぱっと見、全然Jじゃない雑誌。4階に配架するやつ……なんや…思い出せん……

そういえば『アサヒカメラ』っていつのまにか休刊してたんですね。知らなかったです。

 

図書館バイトは全部が全部楽しかったです。

なんか、あれよあれよとチーフも任せてもらったのもありがたかったです。

図書紹介プロジェクトも毎回テーマをこねくり回して解釈していた日々が懐かしい。

昔、私が担当したとある6月のテーマを梅雨の時期だから「書を持って部屋に篭ろう」にしたんですけど、誰も元ネタには気づいてもらえませんでした。笑

 

懐かしくなって図書館バイトのホームページを訪れてみたら、自分が置き土産にしていったプロジェクト合併後の新プロジェクト名がババーンと紹介に載っていてなんだか感慨深いです。

 

"名前"繋がりで中高の文化祭の部門名の一つを「エキスポ」に改名したこともふと思い出しました。

気になって調べると今の広報誌にも「エキスポ」が使われていて素直に感動してます。

あれ、実はこじまが立案者なんですよ!およそ10年前のこじまが考えたんだよ!笑

(ちなみに、今も同じなら卒業式の看板もこじまと同級生2人が職業体験で作ったやつだよ!謎のアピール)

 

まって、じゃあ「エキスポ」改名から10周年やん。

なんかいろんな意味ですごいような気がしてきた……10年って早い……

 

なんだか自分が作ったものが今でも残ってるのって、嬉しいですね。

まぁ、でもずっと残ってなくてもいいかなとも思っています。

わたしが考えたものに対して誰かが「おや?」となったりしたら、どんどん新しくしてもらって構わないです。

惜しくないといったら嘘になりますが、変わっていくことはどこかで必然的に起こるものと考えています。

 

それに、自分が作ったものを土台にして誰かの何かができるっていうのも嬉しいかなって。

これからの人生も誰かや何かの根っこにいれるような人間になりたいものです。

 

最後に燃え尽きリハビリの一貫として描いた落書きを年賀状代りに置いていきます。

丑年のイメージが難しくて牛柄≒ドット柄という安直さ。

それにしてもiPadすごいです。筆で描いたみたいなタッチも表現できるなんて新発見です。けど描き心地にまだ慣れない。(アプリ課金した)

 

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それでは!